多和田葉子「ゴットハルト鉄道」
あらすじの説明は困難だ。
小説として、一貫したストーリーはない。
代わりにあるのは、スイスの「ゴットは神、ハルトは硬いという意味」の「ゴットハルト鉄道」を巡る、「わたし」の身体にまつわる連想だ。
(例)「誰でも一度は、母親という女性の中にはまっていたことがあるのに、父親(略)は、どうなっているのか知らないまま、棺桶に入ってしまう。」
要約を拒む具台性が作品を覆っている。
ので、ひとつ、こちらで選んだシーンだけ引用して終わりたい。
「何もない雪原の中」「散歩禁止」という「禁止の札が立ってい」る。「わたし」は「真直ぐに近づいてい」く。
だが、その後「わたし」は「ここは川か湖の上」と気づく。
「人間の笑い声が聞こえた。近くには誰もいない。(略)風が運んできたのだろう。」
「もしも、これが最後に聞く人間の声だとしたら。私の踏み出す一歩は、滑稽なほどゆがんで小さかった。」
間違いかもしれないが、筆者はこの下りを「異邦人」という存在の言い換えのように読んでしまった。
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