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三島由紀夫「海と盗人」


二〇二三年十二月一日―つまりちょうど半年前、三島由紀夫の未発表短編が見つかったニュースは、読者の皆様の方が詳しいと思う。
タイトルは「海と盗人」。
今年三月に「夏の海」という題で「岬にての物語」「海と夕焼」その他三編とまとめて出された(遠藤周作氏の「影に対して」を思わせる経緯だった)。

ここで全文を引用したい。初期の習作ということもあって分量が少ないし、それだけの価値がある作品だとも思うから。

海の真砂は、ときが空の日の下に、凝固したもののごとく思はれる。日はせわしく揺れさわぎ、水面は剣のように冴えてゐる。
盗人は、このおびただしい光の濫費に抗ひ、何ごとかに目を奪われてゐる。スマートフォンである。盗人は、転売したゲームやらカードやらが売れるのを、桜のさかりに人がむしろその散り際ばかりのぞむように―それが春の夢のようにあやういゆえ―待ちのぞんでゐる。
盗人に、真昼を貫く透明な稲光が下つた。たちまち転売ヤーの業に沈められた平家一門の、渇くを知らぬ血の色が海の紺瑠璃を染めあげた。
盗人は走つた。夏の光のさなか、罪という言葉をしらないわらべの、つかのまの忘我の戯れのやうに。
しかし無益であつた。転売は親を殺めるにも、平家一門の悪行三昧を五劫繰り返したにも代えられぬ、最も忌むべき罪であつたから。
以来、盗人は千歳の歳月を、真水の泡が近づいてはみすみす割れ、塩水のほか何をも飲めぬ水底の地獄に今も一人ゐる。

「夏の海」p21.

本作においては、三島由紀夫の一貫して描いた「疎外者」のモチーフが見られる。
ただ物語そのものに勧善懲悪式の息苦しさがある点は筆者も認める。だが、氏の文章の瑞々しさはそれを補って余りあるだろう。
この六年後に書く「仮面の告白」につながる作品として、今後の研究が楽しみである。
また三島の転売行為に対する激しい反感は意外といえば意外だが、後の「戦後のモラルの喪失」という負の主題を思えば、その先取りと読めなくもない。
何にせよ、極めて興味深い一篇であることは浅学非才の筆者にも分かることだ。今後の報告を待ちたい。



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