辻原登、小川洋子、本谷有希子氏、各短編(「父、断章」「ひよこトラック」「アウトサイド」)

辻原登氏、2001年の作品、「父、断章」。
「そろそろ死んだ父親のことを正確に書かなければいけない、と彼は考えている。」
この一文から短編は始まる。
辻原登氏本人を思わせる「彼」は「父親を(略)矮小化しつつ小説を書」いてきた、と語る。

それから、タイトルの通り父親のエピソードが「あやまる父と欺(だま)される父と怒る父」に分けて、断章的に語られる。

父についての伝記的記述は、森鴎外の歴史物を読むような心地よさがある。実際の歴史的事件を絡める手付きも見事なものだ(扱われるのは「元横綱常ノ花の出羽海理事長が割腹自殺を図る」事件、美空ひばりが「十九歳の少女に塩酸をかけられた」事件など)。

小説の最後、「癌が膵臓に転移していた」父に、「彼」が「(注:母に)父が癌ではない(略)と説明してあげてほしい、と頼まれ」る下りを引用させていただく。
「三十分以上、病気は癌でないことをあの手この手で必死に証明し、説得しようと」する「私」(「彼」と同一人物)。
その「私」に父は
「もうええ、わかった。おれは癌やない。さすが小説家の卵や」
「といった。」
「信じたのか、それとも私をからかったのか、あるいは、この息子、情ないやつだ、と思ったのか、それはわからない。」
「彼は死んだ。」

小川洋子氏、2006年の作品、「ひよこトラック」。
「男の新しい下宿先は、七十の未亡人が孫娘と二人で暮らす一軒家の二階だった。」
「男は町にたった一つだけあるホテルの、ドアマンだった。」

「ただ一つ悩みがあるとすれば、それは未亡人の孫娘だった。」
彼女は男の「風に飛ばされ」たブリーフを「拾って届けてくれ」るも、「部屋の入口に立って」男の「ブリーフを二つ折りにしたり、三角形に折り畳んだり、再び広げたり」する。
「いつまで待っても返事はなかった。」
「残されたブリーフはすっかり皺だらけになっていた。」

しかしその後、未亡人の話から、彼女は「『(略)ちょうど一年前、あの子の母親が死んで(略)ウンともスンとも口をきかなくなった』」ことが明かされる。
この間、彼女は「農道脇の切り株に座」り「小枝で地面に絵を描いてい」る。
「そのとき、農道の向こうから一代の軽トラックがやって来」る。
「道の窪(くぼ)みに車輪を取られながら、大義そうにガタガタと」。荷台には「隙間なくびっしりと積まれた、色とりどりの、ふわふわと柔らかそうな何か」が載っている。
「模様はひとときもじっとしておらず、たえずうごめいていた。」
タイトルの「ひよこトラック」である。
このとき、「二人の間に、身振りでもない、もちろん言葉でもない、ただ、ひよこ、という名の虹が架かった。」
(本文だと、
「あれは、ひよこ?ひよこよね。ああ、そうだ。ひよこだ。やっぱりそうなのね。ひよこだったんだわ。」
と描写されている)

その後、「夜勤明けの男」に、「階段の中ほどに(略)座っていた」少女が、男に「セミの抜け殻」を渡す。
それは「ヤゴの抜け殻」「カタツムリの殻」「ミノムシの蓑」「蟹の甲羅」「と続いていった。」
「シマヘビの抜け殻」は「直径二センチ、全長は五十センチもあり、それ一つで窓辺のスペースの半分近くを独占」する。


最後、「ひよこトラック」は「プラタナスの木にぶつかって横転」する。
「男が視線を上げると、そこはひよこたちで一杯だった。」
「その風景の中に、少女がいた。」
「『駄目よ。そっちへ行っては。車が来たらはねられてしまう。そう、皆、この木陰に集まって。怖がらなくてもいいのよ。大丈夫。すぐに助けが来るわ。なんの心配もいらないの』」
「これが彼女からの本当のプレゼントだと、その時男は分かった。少女が聞かせてくれた声。これこそが、自分だけに与えられたかけがえのない贈り物だ、と。」
「男は何度も繰り返し少女の声を耳によみがえらせた。それはひよこたちのさえずりにかき消されることなく、いつまでも男の胸の中に響いていた。」

個人的に「門柱に絡まるバラの蔓、寄り添うように停まっている自転車と三輪車、用水路の水面に揺れる月、一段と濃い闇に塗り込められたスモモの実。」―彼が「外の暗闇を眺めて」いる描写の細やかさに魅かれた。

本谷有希子氏、2012年、「アウトサイド」。
「ピアノの先生って、もっと優雅な暮らしをしてるのかと思ってた。」

主人公は(ピアノを)「学ぶ気のない女子中学生」。
ピアノ教室を「たらい回しにされてとうとう大手の教室へは通えなくなった私に」「先生は優しく微笑んだ。」

しかしその後、先生の顔は「私が来るたびに少しづつ(略)曇るようにな」る。
そして、「ある日」。
「芯が鋭く削られている」「鉛筆の先端」を「鍵盤に触れている私の手首のすぐ下まで近づけ」る。

「先生が鉛筆を取り出したのは、あの一度だけだった。」

後に、先生は「長年の介護生活に疲れきっ」ていたことが明かされる。
そして「グランドピアノの中に小さなお義母さんを入れると蓋をして閉じ込め、半日ものあいだ放置した。」

「私」は「県で一番馬鹿な高校にも入れず、十七のときに子供ができ」る。

「私はこないだ、お腹の子供が私をピアノに閉じ込めるところを想像したあと、自分も子供を閉じ込めていることに気づいた。サツキ(注:主人公のかつての友人、「旦那に借金と隠し子が発覚し」不毛な日々を生きている)だってなにかに閉じ込められている。誰だって自分が今、ピアノの中なのか外なのか分からないまま生きている。」

このラストで、単なる思春期の少女の(個人的な)物語が、一気に普遍性を帯び、広がる。最近読んだ作品の中でも、指折り数えるかっこいいラストだと思う。 

「群像短編名作選」からそれぞれ読んだ。暇ができたら、また紹介したい。



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