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アレクサンダル・ヘモン/「指揮者」

ある人がnote上で勧めていて読んだ。

著者は旧ユーゴスラヴィアのサラエヴォ生まれであり、この短編の舞台もサラエヴォ(とアメリカ)である。
ユーゴスラヴィアといえば「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字を持つ、1つの国家」―実際はどれかが一つ多かったと記憶しているが、そう例えられるほど極めて多民族の国家である。
筆者も詳しくはないが、90年代に内戦があり、国家としては崩壊した。

(あらすじ)
「僕」は指揮者としても詩人としても才能がない。一方で知り合いのデドという男はユーゴスラヴィアの内戦の悲惨を優れた詩として書く。
「僕」はデドの詩を自作と偽り、シェリルという女性と関係を持つことに成功する。
その後「僕」は作家となるが、本物の自信は持てないままだ。
その後「僕」はデドと再会する。その後、
「僕」はデドと、(デドと関係のある)レイチェルという女性の家に行く。
ところがデドは「『おまえは俺をわかってるのか?俺が何者かわかってるのか?俺は今生きている最高のボスニアの詩人なんだぞ』」―そう言い放ち、レイチェルに警察を呼ばれる。
「僕」とデドはやっとの思いで逃げる。
ホテルに向かうタクシーの中で、デドは「僕」に「『お前のいい詩を書いた』」と告げる。「僕」はホテルで酔ったデドを寝かせる。「僕」は言う。
「彼は人として美しかった。」
デドはある火曜日に死ぬ。

なおタイトルの「愛と障害」は「僕」の創った詩のタイトル。

(追記)「僕」とデドは(陳腐かもしれないが)お互いにとって鏡写しになった「もう一人の自己」なのかもしれないと思った。

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