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『ファーザー』/安易な考えで、ふれるな(映画感想文)

アカデミー賞で主演男優賞と脚色賞の2部門受賞の『ファーザー』(21)を観た。
アンソニー・ホプキンスが認知症の主人公を演じ、物語はその主観で描かれる。知っている筈の家族を忘れ、もういない筈の人をいまもいると思うときがあり、さっきまで判っていたことが判らず、そのことが判らなくなっているということさえ忘れてしまう。
本人以外の人物の立場で客観的に見れば「困った人だな。ボケてるぞ」となるところが、この映画の場合はそうはならない。過去においての手掛かりも与えられないまま物語は始まるが、それについては(観客であるわたしが)主観を共有するべき主人公(ホプキンス演じるアンソニー)が忘れているのだから仕方がない。ただ映画を観ているわたしは(多分、一応。まだ)ボケてはいないので、なんとなくだがいろいろな謎に察しがつき、物語が進むにつれてアンソニーから離れていく。そこがなんとももったいないが仕方がない。

認知症の人間の眼で世界を見る、という構成はチャレンジングだ。
先に書いたようにすべてが混乱していくのだから、まるでディックの小説だ。ただしドラッグを使用しての幻覚でも小説のマジックでもこれはなく、認知症という実在する病気だ。その点では人間だったものがトラになることに悩みながらもやがてはトラの考えに気持ちを乗っ取られ「以前はなぜ自分がトラになるのかと考えたが、最近ではなぜ自分は以前は人間だったのかと考えるようになった」と語る李徴が主人公の『山月記』(中島敦)や、人間からハエの遺伝子を組み込まれ新たなハエ人間として生きることを受け入れ思考も人間のそれではなくなっていくセス博士の『ザ・フライ』(86)と共通するものがある。認知症を「人間以外のものに化す現象」と同様に扱うなんて、と非難されそうな気もするが、一応僕には認知症の老人とその取り巻く環境について語る資格はあると思う。

中学2年生の夏から高校生のある時期まで、僕はいまでいうヤングケアラーだった。それまで離れて暮らしていた祖父が突然徘徊・失踪したことで認知症であることが発覚、うちで引き取ることになる。肉体的には健康な祖父は、思い通りにならないことがあると暴れた。一年ほどして寝たきりになる。祖父は大変に立派な体躯の人で長身だったので、寝たきりになると、僕しかおしめを取り換えることができなくなった。食事のときに半身を起こしてあげるのも僕の仕事、入浴も推して知ってほしい、・・・。高校受験をしなくて済む境遇だったのが幸いした(私立の一貫校だった)。祖父が亡くなると、今度はその介護疲れもあったのか、祖母が認知症になった。

認知症の人間の主観で映画を描くのはチャレンジングで試みとしておもしろい、その発想は評価できる。本人には何の責任もなく世界がただ捻じれて行く辛さだけがある。しかし『ファーザー』を観ながらも、「だから?」という疑問が払拭できない。そのことを描くことに何の意味が、と
自分の過去のせいもあるかもしれないが、元戯曲の作家でもあり監督・脚本を務めたフロリアン・ゼレールに問いたい。発想は確かに優れているかもしれないが、それを作品にしようと考えたあなたのモチベーションはいったい何なのか、と。
認知症が進んだ父親を献身的に支え、周囲の人間の同情や助言の意味も理解しながら、それでも家族の情愛を断ち切ることができずに傷つき、決断を迫られる娘・アンの立場に寄り添いたかった? そうではないだろう。だとしたらこの物語の構成は残酷で無意味だ。

時計は時間を失った認知症のアンソニーにとって唯一確かなめやすであり、よすがとすべきものだ、だからこだわり手元に置こうとするのだ、という見方も間違っている。それは作家の作為である。住居も、色彩の構成も、この映画のなかではすべて作為としか思えない。もちろん映画であるからには作為ヌキで成立するわけもないのだが、この映画では作為はあってはならない(そう書きながらも、CDが針飛びを起こす場面ではアンソニーの驚愕と落胆を思い、僕も慄然とはしたのだが)。

ホプキンスの芝居を堪能することはできる。主演男優賞に価する。
しかし鑑賞しながらはや物語半ばにおいて「この映画には決着のつけようがない。どうついても不自然なものにしかならない」という暗澹たる気持ちは結局裏切られることはなかった。芝居には値打ちはあるけど、映画として「なぜこれを観せられなければならないのか」という思いは拭えないままだった。それは、大好きだった祖父をちゃんと扱うことができなくなる程までに僕も家族も追い詰められたという経験があり、よって作品として客観的に正視することができなかった、というような単純なことではない。
結末があまりにも考えられていなさ過ぎだ。同じ悩みを抱えて苦悩する観客に、何かしらの生きるヒントも慰めも用意されてはいない。ただの状況の描写でしかなく、何の答えもない宙ぶらりんなメモ書きだ、というのが個人的な感想だ。
手厳しいって? 誰かがおもしろ半分に、認知症の人の主観で描くのはおもしろそうだぞ、といった程度の思い付きで手をつけていい題材ではないのだ。

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