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『ドクター・スリープ』/映画的取捨選択(映画感想文)

『ドクター・スリープ』(19)を観た。
物語は「展望ホテル」を舞台に繰り広げられた事件から40年後。
「閉ざされた山荘モノ」だった前作と違いかなり広い範囲に亘り物語は展開する。『エイリアン2』や『新宿鮫/毒猿』や『帝都大戦』を引き合いに出すまでもなく続編は大増量でヴァージョンアップ、決闘ではなく戦争になる。しかしそれは限りなく静かで暗い陰のある戦いだ。

観ている間は感じなかったが、観終わって反芻するとその印象がキングの初期作品『デッド・ゾーン』に酷似していると気付く。『デッド・ゾーン』は未来を予見する能力を不幸な事故で手に入れてしまった主人公ジョニー・スミスが、まだ誰にも知られない未来で悪人となる人物を滅ぼそうと孤独に戦う物語だった。
「社会に受け入れられない特殊な能力を持った人間が社会の気づかない悪と孤独に戦う」という物語はキングの専売特許ではない。どちらかといえばある時期以降、「特殊な能力を持たない人間たちが力を合わせて戦う」作品がキングには多くなった。
『ドクター・スリープ』は「社会に受け入れらない特殊な能力を持った人間が社会の気づかない悪と、仲間と力を合わせて戦う」物語だ。ただ主人公ダンには暗い過去と自分の能力を封印せねばならないという、使命感のようなものがあり、それが彼の性格に静謐な陰影を付与し、彼を孤独にしている。最終的には自身につきまとうダークな面をも利用せざるを得なくなるところに新しい決着の付け方があると思った。

『デッド・ゾーン』と似て思えるのは、ジョニーとダンという二人の主人公を支える市井の人々の存在もある。
キングは、大きな筋と小さな挿話を描くのが上手い作家だ(ただ小説では展開も修辞も凝りすぎてなかなか読み切れず手こずる、…)。小さな支流がやがてひとつに合理的且つ感動的に合わさなり大きなうねりを作る。細部のディテイールの発想の奇抜さと、それを束ねる優れた手腕がキングの魅力なのだ。
予知能力を気味悪がられ疎まれることの多いジョニーだが、原作では、殺人事件の調査に関わった際に協力関係となった保安官たちとの、また映画化された際にこちらはほぼ割愛されてしまい残念だったが、彼を支える大富豪のチャッツワースとの交流が、かなりの枚数を割いて描かれている。
映画『ドクター・スリープ』でも主人公ダンが、ビリーや医師のジョンといった人たちに支えられている場面が描かれるが、原作では彼らとの関係もより緻密に多く描かれているのだろうか。こちらは原作未読。そう思うと読んでみたい気になるが、いかんせんキングの原作は、…(以下略)。
いい意味できっと映画的に取捨選択しているのだろう。展開に過不足はない。
一切の情報を入れずに観たが、次から次へと感動の波に飲まれ続けた150分だった。念願の再会でもあり40年ぶりの恐れていた邂逅でもある。『シャイニング』が好きならこの映画必見

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