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 蒲田の桜を見にいく、日当たりのいいところだけ咲いている。
 昨日八王子で演劇を観に行って、そのまま銀座で高いイタリアンの店に行き、友達とたくさん話したので、疲れて、今日は昼過ぎまで寝ていた。
 明日から雨が続くらしく、今日が最後の晴れなので、勿体無く思い、桜の様子を見に行った。
 
 桜がありがたいものだ、という認識は、自分の中で、いつ生じたものだろうか。寒河江市から山形市に引っ越してすぐに、霞城公園の桜を見に行った、あのときには少なくともすでに、ソメイヨシノはなんだかありがたいんだ、という認識があったはず。それより前、東京のことを思い出そうとする。森山直太郎の「さくら(独唱)」が幼稚園で流行っていたことを思い出す。あのときは、歌であればなんでも嬉しかった。合唱曲やみんなの歌以外の歌。JPOPしか知る機会はなかった。それはいいのだが、さくら独唱がソメイヨシノの特別さを、なんとなく、知るようになった最初だと思う。
 すぐ散るので、YouTubeのショート動画みたいに何度も見てしまうのだと思う。花見の時の視点。定まらない。歩いていく。一つの木をずっと見ている感じではない。総体を視界にぼやかして、歩いていく。覚えておけない。何かを見逃してるような気持ちになる。

 蒲田は普通に桜が少ないと思う。あんまりなくて、いつもの散歩のように陽の方向に向かってとりあえず歩いていく。すでに夕方で、西日だ。陽を視界に入れていないと散歩として勿体無く感じてしまうので、いつも陽に向かって歩いている。だから一年中日焼けをしていて地黒と間違えられる。 
 YouTubeショートみたいに陽を見逃して、何度も繰り返し見ようとする。チラチラ、コンタクトが乾く。

 今日は休もうと思ったのにめちゃくちゃ歩いてしまった。夕方から銭湯に行く気持ちよさを覚えていて、そのままの気持ちで夜になったが、蒲田温泉に行くことにした。
 その帰り、いつものコンビニのところで、クロちゃんを探す。
 クロちゃんを、かれこれもう、ひと月以上見ていない。
 クロちゃんは野良猫で、背側が黒くて腹側が白い、尻尾が極端に短く黒で、瞳は緑色。だいたいコンビニのところにいて、エサをくれる人を待っている。朝9時前、昼の13時から14時、夕方17時、夜22時あたりに人前に姿を現し、そのいずれかの時間に誰かからエサをもらっていた。それ以外の時間にどこにいるかは知らない。
 それがひと月以上、いない。
 僕は上記の時間にコンビニのところに行って、クロちゃんを撫でていた。ので、外出する際は、家に直接向かわず、コンビニのところまで歩いていた。んだけど、最近はクロちゃんがいないので足が伸びない。
 
 あのセブンイレブン。あれは30年以上前からあるセブンイレブンだと湯本が言っていた。
 湯本はタクシードライバーで、1月に「部活」の稽古をやったときに、座組のみんなで僕の家に泊まるという話になって、中野の奥山の家から蒲田の僕の家まで、タクシーで布団を運んでいくことになった、そのときのドライバーが湯本だった。

 湯本はお話ししてくれるタクシードライバーだった。話さない人もいる。どっちなのかは、乗り込むときの印象ですぐにわかる。話す必要はない。
 僕と主演の奥山と照明の山口さんの三人と、湯本で、1時間くらいドライブする。奥山が助手席に座る、後部座席と運転座席はは飛沫防止のパーテーションで仕切られている。奥山は大人と話すのがうまい。僕も24歳なので大人なのだが、職業を持っている人は大人だ。僕らは全員学生だった。学部を聞かれたりする、素直に医学部だと答えると、蒲田まで行くと伝えてあるので東邦医大だとまですぐにわかられる。
 「そちらの女の人も良い大学なんですか?」みたいに聞かれる。隣の山口さんは寝ていた、後で聞いたら起きていたみたいだが、こういうときには人は寝たふりを続けるものだ。僕が代わりに東京外大ですと伝えると湯本が感心する。
 奥山と道路の話で盛り上がっている湯本。東京の地理の話をする、湯本は世田谷に住んでいるっぽい。地政学というか、世間学というか、そういう僕が知らない世界の、状況の、通だという感じがする湯本は、僕が研修をしたいと思っている病院の名前を挙げると、「キチガイ病院ですよ、あそこは!」と大きい声を出す。
 東邦大学大森病院にも、子供のこと?で行ったことがあるらしい。だから蒲田のことをよく知っていた。
「双子橋のことまで知ってる人、なかなか居ないでしょ」
 その昔からタクシードライバーらしい。まだ京急線の立体交差ができる前の、環八と第一京浜に、開かずの踏切があった頃。あそこを避けて通るようにしていた湯本。
 タクシーの停車位置を、クロちゃんのセブンイレブンに指定すると、あそこは30年前からあると湯本が教えてくれた。降りたら、布団をおろして、クロちゃんはまだそのとき居た。撫でた。奥山が布団を持っている間。

 蒲田温泉の休憩所でアイスを食べていると、同じくアイスを持ったストリート系の見た目をした若者と、同じくアイスを持った老夫婦が話していた。あの若者くらいのスピードで話されるのを、老人は心地よく思ったりするのだろうか。若者の母親は法政大女子校出身らしい。老父婦はそれを誉めている。夫の方が声が小さい、妻に向かってしゃべっているようだ。妻が仲介みたいに喋る。若者も法政大学国際高校を受験するも落ちて公立に行って、今は法政大学の通信に通っているようだった。単位を取れば4年も行かずに卒業できる。「なんでもいいんだよ」と夫が言う。「仕事はちゃんとやったほうがいい」


 

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