27歳女”仕事”の定義
プロローグ
仕事とは人生最大の娯楽だと私は思う。
なんのためにこれを書き残すのか。
それは、自分の生きる意味を見出すためである。
自分がやらなければ誰かがやる。
秋になったら家の前には大量の落ち葉が落ちるのに
次の日には綺麗になっている。
きっと誰かが掃除をしてくれている。
お仕事もそう。
自分がやらなければ誰かが代わりにやってくれる。
自分の代わりなんていくらでもいる。
でも、それだとなんで生まれてきたんだろう?
そんな疑問にぶち当たる。(というかぶち当たった)
だから、その回答に自分なりの答えが出るまでは、とても苦しかった。
でも今は少し楽になった。
自分が生きる意味を自分なりに見出したからだ。
だからこそ、
同じような気持ちを抱えてる人に対して、届けたい。
この文章に乗せて、
少しでも多くの悩める人々に届けられるなら、
私の足掻いてもがいた20代は、きっと私にしか描けない、誰も代わることのできない文章になる。
そして、私がこの世に日本人女性として生きた意味になるのではないか。
だからこれを書き記そうと思った。
新卒時代
私が社会人2年目の頃、帰り道に泣かない日はなかった。
今でも思い出すと少し苦しい位だ。
仕事がしんどいわけではない。人間関係が悪いわけでもない。ただ、できない自分と向き合うことがあまりにも辛かった。
子供から大人になろうとする段階で、今までの価値観の根底から覆されるような月日だった。
自分がやらなければ誰かがやる。まるで昨日落ちていたゴミが今朝には跡形もなかったかのようにきれいになっている感覚と似ていた。
自分自身の存在意義を疑った。それと同時にそれが社会だと言うことを、痛感した。
これは自慢だが、高校時代学校の成績はクラスで1番、体育も音楽も得意で、成績はオール5だった。生徒会長をして、部活では副キャプテンも務めた。
高校卒業後は、日本の大学には進学せず、アメリカの大学に進学したいと両親を説得し、通わせてもらった。
自分では、自分は要領が良い方だと思っていた。
だからこそ、社会人になった時、できない自分を受け入れられず毎日自分が情けなくて泣いていた。
テストの点数のように、評価軸がわかりやすく数字で出るわけでもなかった。
白か黒かで決められるほど、社会は簡単でもなかった。
結果を出さなくても受け入れてくれるのは家族だけだと言うことも知った。
大人って大変なんだなって知った。
なんでみんなは泣かずに毎日出社できるんだろうと不思議だった。
転機
そんな時に、会社で大きなプレゼンを任されるチームに私が選出され、なんとなく出場を決めた。
あと2人、選ばれたのは1つ上の先輩と、8つ上の先輩だった。
今まで表面上で関わってはきたがプロジェクトを通して夜な夜な議論をした。
その時ふと感じた。
今、すごく楽しいと。
同じモチベーションを持った仲間がいて、その仲間たちと同じ目標に向かって走っていける。
それってすごく恵まれていることなのではないかと、感じた。
娯楽は、恵まれた人しか享受されない楽しいモノ・コトだと思うので、
その時私は仕事を娯楽と呼ぶことに決めたのだ。
未来への準備
仕事が楽しいと思って働けている人が、今の日本にどれぐらいいるかはわからない。
もちろん私自身も、いつも楽しいと思えるわけではない。ただこの今の日本を形作るために、何人の人が汗水を垂らして仕事をしたのか。
そんな先輩方の努力の結晶の上での、今の私の仕事であり、娯楽なのだ。
過去があって今があり今が未来を作っていくと私は思う。
であるならば20代の私が何をするべきか。
きっとそれは後は任せろとそう力強く先輩方を送り出すことなのではないかと思う。
まだまだ未熟者でそんな力がないかもしれないが、同じ闘志を持った仲間を集い、未来への準備をしていくことが今の私がするべき仕事だと感じる。
せっかくこんな楽しいコトをさせてもらっているのだから、それを通して、自分の幸せだけでなく、もっと大きい世界で幸せを与える側に回りたい。
そのために私は”仕事”を生み出す側に回れるように学び続けたい。
どんな仕事をするの?に関しては以下の記事をご覧ください♪
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