10歳でアスペルガー症候群と診断された甥 テルのおいたち (1) 将棋の道

甥のテルに会うのは久しぶりだった。弟の長男である。

私の母(テルの祖母)を火葬する火葬場の一階ロビーにその背の高い青年はいた。
23歳になっていた。

弟の転勤で岡山県の小学校に通っていたころ、幼いテルについて、特に何の異常も誰も感知していなかった。

岡山の少年野球のチームでのびのびと野球をしていた。

しかし、5年生で大阪府枚方市に転校してきたときから不適応は始まった。

(ちなみに、テルより7つ年上の、私の息子はアメリカのモンテッソーリ幼稚園に通っていたときは不適応はなかったが、日本に帰国したときから不適応が始まった。)

テルの不適応はまず少年野球のチームで始まった。練習が熱心ではないとして監督の体罰を受け、さらにはチームメイトからのいじめが始まった。

後で聞くとその監督はDV的な存在としてここいらではちょいと知られていたらしい。
勝利至上主義の大阪府枚方市の少年野球と岡山の少年野球はまるで違っていた。

いじめはやがてチームメイトによって小学校に飛び火し、テルは不登校になった。

そのころのテルの名言のひとつに「学校は残酷なところだ。だから僕は行かないことにした」というものがある。

不適応について弟が医療機関に連れていき相談するとアスペルガー症候群の診断を受けた。
なんだよ!
それ!

野球チームと学校は?
イカレテるという診断が出ないのか?
僕は野球チームと学校がイカレていると思う。
日本社会全体もイカレていると思う。

僕は、学校に行かなくなったテルに将棋を教えた。
テルはすぐにマスターし、日に日に強くなった。

彼は熱心に将棋を勉強した。
一年後には、教えた僕が勝てなくなった。
頭がいいのだ。

中学校進学のとき、野球チームのチームメイトのいない学校にテルを転校させることを弟が教育委員会に要求した。

教育委員会はいじめなどの事実の引け目もあったと思うが、それを認定した。

甥は僕が当時勤めていたN中学に転校してきた。
おじさんになついているので、おじさんもいると言えば行くかもしれないと弟が望みをかけたのだ。
しかし、学校には来なかった。

そのうち僕も鬱になったので、N中学に行かなくなった。

今日、火葬のあと、皆で食事をしているときテルが言った。

「おじさんも確か不登校になったね」

「大人は休職というんだ」

「僕は不登校と言っていた。おじさんは同じなんだと思っていた」

「そうだ。学校がおかしいから休んだんだ。それからおかしいことは全部いちいち朝から晩まで言い続けることに決めたら鬱が治って復職した。僕の病気ではなく、学校がおかしかったからそうなったとわかったんだ」

「おじさんがしたことは、完全に正しいね」

テルは結局、中3のとき、数日だけ中学校へ行ったが、おじさんがいなかったので、同じ理由で休んでいるんだと理解したという。

テルは将棋がやたらと強く、市の催しでプロと対戦できるイベントなどにも参加したりしていた。

高校生の年齢になり、近所の通信制高校に通うようになった。

その通信制高校にやたら将棋の強い生徒がもうひとりいたので、一緒に将棋部を作った。

ふたりは試合などで負け知らずだったが、ひとつ問題があった。
団体戦は5名で闘う。
2名の部員ではいくら強くても2勝3不戦敗になるので必ずそこで敗退する。

それを聞きつけたやつが他校にいた。

彼はテルたちに会いに来て本当に強いことを見抜いた。
「俺が来たら、3勝2不戦敗で、トーンメントを勝ち抜き、大阪の高校生大会で優勝できる」

彼は決意した。

なんと、自分が通っていた公立高校を退学して、はみ出し者の吹き溜まりで進学率も低い通信制高校に転校してきたのだ。

漫画のような話だが、実話だ。

彼が来てなお、テルが最強で主将だった。

彼らの将棋チームは5名の団体戦に3名で出場したため、一敗も許されない。

しかし、大阪の高校生大会で彼らは一敗もしなかった。

3勝2不戦敗ですべて勝ち抜き、大阪で優勝した。

近畿大会では惜しくも2位になったようだが、全国大会にも出場した。

後にテルはアマチュア高校生全国5位になっている。

プロになったらどうなのだ? 僕は言った。

「僕はプロにはならない」
「なぜ?」
「がんばったらなれる可能性はあるが、もしなったとしても、羽生などに負けるのが仕事になる。そんなことをしても仕方がない」

彼は将棋を離れた。

もちろん、今でもめっぽう強い。
僕の勤めていた学校の数学の先生で、よくアマチュア大会にも出ている自信のあった数学教師が自宅に挑戦に行き、何度やってもぼろ負けして帰ってきた。

「本当に強い」と言っていた。

だが、テルの中では将棋ブームはあるとき終了した。

(つづく)







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