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タランティーノが最も憎むもの

   先日、クエンティン・タランティーノの新作『ワンス・アポン・ア・タイム・ イン・ハリウッド』を鑑賞してきた。(タランティーノとジム・ジャームッシュとウディ・アレンの新作が掛かれば僕は無条件で見に行く)

   この映画の結末を見て、僕は『イングロリアス・バスターズ』以降のタランティーノ作品で一貫して描かれているものが分かった気がする。

   バスターズからタランティーノ映画は何かテイストが変わったな、と僕は思っていたのだ。
それが分かった。「暴力の扱い方」が違うのだ。

  『レザボア・ドッグス』や『パルプ・フィクション』、これら初期の作品において、暴力に必然性はない。暴力はまるで天災のように、突如人々に襲いかかり、ズタズタにぶちのめして行く。それは凄くリアルだ。しかし通常、物語の中で誰かが死ぬ場合、そこにはなにかしらの必然性が求められるもので、そういう既成概念を壊していったのが、ゴダールであり、タランティーノなのだと思う。 そしてバスターズ以降タランティーノは暴力を映画における既存の位置に戻しつつある。それはつまり「正義の為の暴力」という位置にだ。

  その矛先は『キル・ビル』のように個人的なものではなく、ナチスであり、奴隷制度という「社会のシステム」に向けられている。 もっというと、そのシステムの中で思考を奪われ歯車となった人々に対しての怒りだ。

  『イングロリアス・バスターズ』以降のタランティーノ作品で一貫して描かれているもの、それを簡潔に言うならば、「無思考な人間によってもたらされる意思なき暴力に対する嫌悪」だ、と僕は思う。


  だからタランティーノは史実を捻じ曲げてでも正義の為の暴力を振るう。

  そのことについては、『ジャンゴ 繋がれざる者』の中でクリストフ・ヴァルツ演じるシュルツが発する台詞

「すまない。我慢できなかったんだ」

この一言にタランティーノの思いが集約されているのではないだろうか。

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