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不登校の状態について

不登校の原因は様々です。いくつかの原因が重なり合うよう複合的なケースも増えています。原因が様々であれば対応も様々なのですが、多くのケースで共通して意識していただきたい点もあります。そのうちのひとつを書いてみます。

不登校は病気ではなく「心のケガ」

「不登校の原因は様々」そう思うと心が軽くなるどころか、逆にアプローチの仕方がどんどん分からなくなってしまいますよね。ただでさえ原因がわからないのに、それが「様々」で「複合的」と言われては、いったい親として何をどうすればいいのかと悩みが増えてしまうことでしょう。

そこで今回は不登校という「状態」について考えてみましょう。原因や対応が明確にわからなくても、まずは「状態」を理解することが親子ともに必要ですし、今後の対応を考えるヒントになることと思います。

それまでは問題なく学校へ通っていた子が、通えなくなる、不登校になる。その状態をどう表すのか。

専門家の中には、不登校を病気に例える方もいますが、ボクは「病気」ではなく「ケガ」に例えています。病気が「健康的な生活を営めないほどの苦痛を伴う状態」をいい、怪我は「心身に傷を負うこと」であれば、やはり不登校の状態は後者の「ケガ」と考えるのが適切です。

ケガと聞くと「休めばすぐに治るのではないか」と思う方も多いでしょう。「休めば治る」は、その通りです。しかし、この「休む」ことが難しい。それはケガをしているのが、足や手のように目に見える箇所ではなく、全く目に見えない「心」だからです。足をひきずっていたり、手から血でも出ていたら、すぐにケガとわかって心配になりますし、それなりの対応をすると思いますが「心のケガ」は目に見えません。ケガそのものが見えないため、どんな傷なのか、良くなっているのか悪化しているのか、その傷の程度もわかりづらいのです。だから、休ませることも難しい。

なぜ学校を休んでもケガが治らないのか

「学校を休んでも、元気にならない」「ずいぶん休んでいるのに、かえって状況が悪くなっているます」といったご相談は多いです。「ケガ」は休めば治るはずなのに、おかしいですね。

「ケガ」は休めば治るので、「心のケガ」は「心」を休ませてあげる必要があります。では「心を休ませる」とは、なにをすればいいのでしょう。

それはストレス、プレッシャー、嫌なことを減らす、そして、リラックスした時間を増やすことに尽きます。

学校に行けなくなった子は、大なり小なりストレス、プレッシャー、嫌なこと、を抱えています、あるいは過去に抱えていたはずです。それが「心のケガ」になっています。そのケガを治療するには、リラックスがいちばんの”薬”となります。

学校を休んでいても、心が休まらなければ意味がありません。

もし家庭内にストレスがあったり、学校を休んでいてもプレッシャーをかけられていたり、嫌なことが減らなければ、心は休まりませんので、当然「ケガ」が治ることもありません。そして学校を休んでいること自体もストレスになり得るため、いくら休んだところで、かえって傷が深くなることもあります。

ケガを治すために「休むこと」は必要。しかし重要なのは「学校を休むこと」ではなく「心を休ませること」。あくまでも心を休ませるために、学校を休ませてあげるのだ(あるいは子ども自身が本能に従って休んでいるのだ)という考え方が必要です。

ケガ人だから無理はさせない

「無理やり学校へ行かせる」のは、足のケガをしている人を無理やり走らせていることと同じです。足の骨が折れて、ギプスで松葉杖をついていたら、そこまではしませんよね。できるだけ足を休めさせて、きちんと治れば動けますので、そこまでは無理をさせないはずです。

しかし心のケガは目に見えないので、ついつい無理をさせてしまいがち。目には見えなくても、ケガをしているのだという前提で接してあげましょう。足のケガなどと同様に、無理をすれば治るまでの期間が長引くだけです。

またちょっと治ってきたからといって無理をすれば、またぶり返してしまう可能性があるのは、足のケガも心のケガも同じ。治るまで根気が必要なのも同じ、けど治ってしまえば、思い通りに動かせるようになるのも同じです。

本人の意思を尊重しない?

親が無理をさせているのではなく、本人の意思を尊重しているというケースも多いです。子どもが「行く」と言うから、学校へ行かせようと頑張っているのだ、と。

この場合も「心のケガ」である前提を忘れてはいけません。子ども本人がケガに気づいていない可能性があります。本当は心に大きな傷を負っているのに「僕が悪いんだ」「私がしっかりしなきゃ」とケガに気がつかないで頑張ろうとするわけです。

ここは大人が気づかせてあげて下さい。ケガは休まなきゃ治らない、けど、休めば必ず治るということを根気よく伝えてあげましょう。

またケガを自覚していても意思を示すことはあります。足の骨が折れていても「運動会に出たいか?」と聞かれれば「出たい」と言う子は少なくないでしょう。そしてそれを「本人の意思だから」と容認していたら、足のケガは悪化しかねないですよね。そこまでやる価値のある出来事であれば「足のケガをおしてまで走った」という思い出はになるかもしれませんが、心のケガはそうもいきません。目に見えず、その傷の深さもケガの程度もわかりづらいものですので、より慎重に対応してあげて欲しいと思います。

最後に

ケガ人であることは、別に悪いことでもなんでもありません。むしろ頑張ってきたからこそケガをすることが多いものです。

ケガが治れば必ず動けるようになりますし、時にはケガをする前よりも強くなることもあります。

だからこそ、今はケガの回復に務めましょう。心のケガを悪化させるのはストレスやプレッシャー、嫌なこと。心のケガを回復させるのは、リラックスです。

頑張りすぎたケガ人に接しているつもりで、引き続き頑張ってみて下さい。



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