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家族が増えた日のお話。

6月13日午前2時 陣痛開始


「お腹痛いかも」
妻が言いました。

予定日を過ぎていたため、いつでも病院へ行ける体制は完璧に出来ていました。

私の役割は陣痛の時間を計測し陣痛の時には妻の仙骨にテニスボールを押し当て、いきみ逃しの呼吸管理(後から聞くとテニスボールは入院してからで良かったそうで…😓笑)
妻と子供が戦っている中、実質的にはなにもできない父親のもどかしさを感じながらも、自分だからこそできることを最大限に頭を働かせていました。

午前3時20分 病院へ

陣痛が5分間隔になり、
病院へ電話連絡をすると向かうようにと指示がありました。

着替えを済ませて、入院バッグを持ち、いざ車で病院へ!
本当に夜勤の日じゃなくてよかった😌

午前4時 入院

病院に到着し、コロナ対策の為、玄関で助産師さんに荷物を渡すだけで妻とはお別れ😭
夫としての実質的なサポートはここまでしかできなかったです。悔しい
帰宅してからは陣痛と戦う妻とラインのやりとり。
時折、陣痛のせいか、返信が来ない状態を繰り返していました。頑張ってたんだね

午前8時10分 緊迫の電話

ラインがストップしてから少し経ち、電話がかかってきました。
もともと分娩時の立ち合いができない分、電話は繋げると聞いていたので、いよいよかと覚悟しました。
電話が繋がると、いきなり、妻の絶叫が飛び込んできました。😵
どうやらかなり順調に進んでいたようで、通話時にはすでに排臨状態(陣痛時には胎児の頭が見えて、陣痛が治ると頭が見えなくなる状態)でした。

妻が叫ぶと、助産師さんが声出さないで口閉じたらうまく進むよと声をかけていただき、妻も必死に口を閉じている様子が聞いて取れました。

みるみるうちにお産が進み、すぐに発露状態(陣痛が治っても胎児の頭が見えている状態)となりました。
私も救急救命士として働いている身のため、それなりに分娩の知識はありました。初産でこの進み方はかなり早いことを認識しており、妻へは順調だよ、上手だよと声をかけ続けました。
現場が見えないながらも、戦っている妻と我が子へエールを送り、少しでも妻の不安をなくしてあげたい一心でした。
当初は徹底したコロナ対策のため立ち合いさえ出来ないことを悔しく思っていましたが、徹底して母子を守る体制を貫きつつも、電話など柔軟に対応していただいた病院には本当にリスペクトと感謝でいっぱいです。

午前8時27分 誕生!

ついにこの時が!
数回のいきみが続いた後、

「んぎゃーーーーーっ」

電話越しに届いた我が子の産ぶ声に魂が震えました。
あぁ、やっと会えたね。
282日、長かったけど楽しくもあり幸せな時間でした。

妻は激烈な痛みで何が何だか理解できていない様子。まずはよく頑張った!ありがとう!お疲れ様!と伝え、2人の無事を祈っていました。

2912gで生まれた男の子は若干血色が悪かったようで、すぐに酸素投与されたみたいで、顔を見るのになかなか時間がかかりました。
この辺りは新生児にはよくあることだと思うので、私としては我が子の強さを信じて疑わなかったです。
助産師さんがスマホを持ってくれて、テレビ電話越しに、ベビーの顔を見ることができました。
可愛くて、愛おしくて、安堵して、幸せで、きっと目の前で会えていたらもっともっと感情が昂っていたことでしょう。
すこし冷静な私は、よく言われるガッツ石松派か鶴瓶派かを考えてしまい、確実にガッツ石松派に属していました😂

午前11時30分 やっと見れたよ

妻もボロボロで、助産師さんも忙しく、なかなか写真を撮れない時間が過ぎた後、
ようやくベビーの写真が送られてきました。

そこには妻がベットに横になりながら、ベビーを抱いている姿がありました。
だただた感動しました。
産まれてきてくれてありがとう。
産んでくれてありがとう。
正直それ以外の感情が入る余地はありませんでした。

その後もたくさんの写真を送ってもらい、どこがどっちに似ているとかで盛り上がり、楽しい時間を過ごしました。


午後1時 命名!

名前を決めました!
もともと二つ候補を挙げていたので、あとは顔を見て決めようと決意していました。
いざ、顔を見ると一択でした。

紡久(つむぐ)
〜願い〜
ひとつひとつの言葉を丁寧に紡ぎ、周りのものや人々をつなげて、自分が正しいと信じた道を仲間達とまっすぐにどこまでも歩み続けられるような人に😊

5ヶ月寝かせた末に、夫婦ともに本当に納得のいく名前をプレゼントしてあげることが出来たかなと思っています。

最後に 決意

我が子はたくさんの人に待ち焦がれてこの世に生まれて来てくれました。
タイミングも親孝行この上なく、超スピード安産でした。
酸素化が少し悪く保育器に入ってはいますが、彼はこれからたくさんの経験をして大きくなり、自分の人生を歩んでいきます。
そこには私たち親のサポートや祖父母、友人、先生、周りの大人などたくさんの人と関わり、挫折もするでしょうし、生きにくいと感じることもあるでしょう。

そんな時、彼にとって心の拠り所となれる場所を私たち2人で築き上げていくことがこれからの使命です。

「命を守る」
私がいままで仕事にしてきたことです。
第一に家族を守るために磨いた力。
これまで培った私のすべてをかけて、
妻と息子を守り抜くことをここに誓います。

これからは、息子の成長に合わせた記録をしながら、どこかのだれかの微笑みにつながれば、それもまた紡久の生きた証になるかなと思っています。

そんな忘れられない素敵な1日を過ごした日のことでした。

p.s.
あなたが産まれたのは雨予報を覆す、明るく晴れた日のことでした。

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