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「使い方」も大切、「考え方」はもっと大切

今回は、小学校におけるICT教育について書いてみようと思います。

一人1台に対する大人の期待と不安

GIGAスクール構想により、一人1台ずつデジタルデバイスを使っての授業が始まりました。このデジタルデバイスは、各家庭で管理することになります。

その準備を進めていく中で強く感じたのが、大人側の期待と不安、そして意識の差です。子どものデジタルデバイス使用は絶対に必要だという保護者もいれば、急な変化に戸惑う家庭もあります。

それは教員も同じでした。積極派、慎重派、そのような大人側の意識の差がある中で、子どもたちはデジタルデバイスを使用していくことになります。

家庭によってデジタルデバイスをめぐる環境は様々です。そのような状況で学校が一律にルールを設定することは困難だと感じました。各家庭での使用に関して、学校はコントロールできません。

子ども自身の判断力

そこで、使い方について、子どもが自分自身で考え判断できるようになることが必要だと考えました。デバイスや使用環境が変わろうと、判断基準となる根っこをしっかり持っていれば、子どもは自分の力で使い方を選択できるようになります。

また、どんなにルールや規制を作ったところで、子どもたちはうまい抜け道を探し出します。子どもは大人から隠れて使うようになり、大人は子どもが何をしているのか分からなくなります。教員や保護者の不信感がさらに規制やルールを生み出し、子どもはますます隠れて行うという悪循環に陥ります。

そこで、デジタルデバイスの使い方やルールについて、子どもが教員と考えながら学ぶことができる機会を作れないか、そして、子どもが学校で学んだ使い方やルールを家庭とも共有できないか、ICT教育推進チームはその方法を模索することになりました。

Digital Citizenship Curriculumとの出会い

ICT教育推進メンバーの一人に米国人がいるのですが、彼女は日本における情報モラル教育の「これはダメ」「それは危険」といったネガティブな視点の多さに疑問を感じていました。

彼女が「友人の学校ではこんなことをしている」と共有してくれた米国の小学校での実践例を見た時、「デジタル市民」を目指す教育観が米国と日本とでは随分異なるのだと納得しました。

簡単に言えば、日本は危険を事前に回避するために大人が考えたルールの教育、米国は使う際に(子どもでも)発生する責任と権利の教育です。この時に見た実践例がDigital Citizenship Curriculum(デジタル市民教育のためのカリキュラム)で作られたものでした。

デジタルデバイスやインターネットは、通常(設定をしない限り)大人も子どもも対等で使用者を「子ども扱い」しません。何かトラブルを起こしでも「子どもだから」という理由は通用しません。

子どもでも当事者意識を持って自分で考え、判断し、インターネットやデバイスを正しく使うための教育と知り、「これだ!」と思いました。そこで、このカリキュラムを使ってICT教育推進チームが元となる授業案の計画と作成を始めました。

ICT教育推進チームが授業案例と必要な提示教材、児童用のプリント、保護者への説明書を作成し、それを各担任に共有します。

学校で学んだことを家庭とも共有する仕組み

授業は全て、「使い方」より「考え方」について学ぶことに重点を置いた内容です。1週間の中で担任の時間がある時にこの授業に取り組みます(1回15〜20分)。ゴールを変えなければ、担任はクラスや学齢に合わせて自由に内容をアレンジできます。

基本的な流れは、まず授業の中でテーマについて担任と子どもたちが一緒に考え、自分の考えをプリントにまとめて自宅に持ち帰ります。次に、同じ内容を家庭でも話し合い、コメントを書いてもらいます。そのプリントを学校に持ってきてファイルにまとめると、その子にとってのオリジナル・ガイドブックが仕上がるという仕組みです。

例えば、時間に関しては家庭によって考え方が様々なため、学校が一律に使用時間を決めることはできません。「なるべく触らせたくない」という家庭もあれば、積極的に使わせたい家庭もあります。あくまで「子どもと家族が話し合って決めたこと」を尊重し、そのルールを学校に教えてもらうようにしています。

具体的な学習内容

実際に授業で行ってきたテーマをいくつか紹介します。

「時間管理」のテーマでは、使用時間ではなく使用可能な時間帯を話し合って決めてもらいます。日本ではデジタルデバイスに対して一律に厳しく時間規制をかけますが、Digital Citizenship Curriculumでは、時間の種類によって「規制をかけるもの」と「規制をかけないもの」を明確に分けています。

Passive Time(漫然と動画を観る、誰かが作ったゲームで遊ぶ)といった受動的な時間は制限が必要です。一方で、Active Time(デジタルデバイスを使って何かを作る、表現する、学習に使うといったクリエイティブな時間)に対しては、時間は必要なだけ確保してあげようと考えます。この「時間が2種類ある」ということ自体多くの人が知らないので、教師や保護者も学ぶ必要があります。

「機器の正しい扱い方」では、デバイスの正しい持ち方、クラスの保管場所、授業中の置き場所を確認します。デバイスはどうしたら壊れるのか、自分のものや友達のものを壊してしまった時にはどうしたらいいか、まずクラスのみんなと話し合います。

次に家庭でも、自宅での管理場所(充電する場所はどこか)、壊してしまったらどうするか、それが友達のものだったらどうなるのかを相談します。想定されるトラブルをあらかじめ家庭で話し合っておくことで、いざ起きても子どもが報告しやすくなり、保護者も心構えができます。

「Boundaries(バウンダリー・境界)」は日本語にはぴったり当てはまる言葉がなく苦労しました。バウンダリーとは、自と他を分ける境界線のことで、相手と自分の間にある見えない心のラインです。

どこまでが自分の領域で、どこからが相手の領域であるか。もし自分の領域内に人が入って来たらどう感じるのか、どうするのか。どこまでが自分の責任で、どこからが他者の責任であるか。

相手の要求に対してストレスに感じるレベルはどこか、まずはそれを自分自身で自覚する必要があります。そして嫌な時には相手にしっかり『NO』を伝えるための指針にもなります。この「自分を守るためにNOと言えること」は、インターネットの世界では非常に重要な態度だと考えています。

「Digital Footprint(デジタル・フットプリント)」は、国外の学校では必ず扱われるテーマでありながらも、日本語の資料や情報、ましてや授業案がほぼ皆無なのが驚きでした。

自然界の足跡(例えば、砂浜に残る足跡)は時間が経てばいつか消えます。しかし、インターネットの世界では一度残した足跡(履歴や記録)は決して消えません。インターネットに繋がるもので活動した場合、そこには消えない足跡が必ず残ることを学びます。自己紹介の例を見比べて、足跡として残してはいけないもの、オンラインで共有してもよい情報とは何かを考えます。

テーマによっては正解が一つではなく、個人で異なってきます。「こう決まっているから」ではなく「自分はどうか」を考え、家族と相談することが大切です。

この授業が目指すのは、子どもたちが身近な大人に対してポジティブに何でもオープンにでき「隠しごと」をしない環境作りです。学校と子ども、そして家庭の三者でお互いの考えを共有することで、子どもが隠さなければならない状況を学校も家庭も作らない、そのために大人たちも子どもたちと一緒に考え、意識を変える必要があるのかもしれません。

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