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三度の不登校から教員へ、15年越しの学校復帰 #1突然私は不登校になった


私は保健室の先生(養護教諭)として中学校で働いている。

毎日色んな生徒と接し、心と身体のケアをしている。

どこにでもいる中学校の保健室の先生だ。

だが、ここに至るまでは他の人とは少し異なる道を歩んできた。

私は小学校6年の終わりから中学校卒業までは学校に行ってない。

いわゆる不登校だ。

「学校に行きたいけど、行けない」

そんな私だったが、今は保健室の先生として学校に行っている。

あんなに行けなかった学校で働いているのだ。

毎日「学校」のことを思っては泣き、打ちひしがれ、人生に絶望を感じていた「学校」に今は先生として行っている。

それは、「不登校を0にする」という私の使命を"なんとしてでも"果たすためである。

「私と同じ想いをさせたくない」「今後不登校として苦しむ生徒をなくしたい」

そういった思いから、一念発起して保健室の先生になることを決めた。

あの「学校」に行くことには恐れがあった。

自分があの「学校」で上手く働けるのか?
あの「学校」の雰囲気に押し潰されてしまわないか?
周りの先生たちと上手くやっていけるのか?

そんな葛藤がありながらも、自分の使命を果たすべく学校で働き始めた。

このnoteでは、私が学校にいけなくなった15年前の出来事、そのあとフリースクールでの生活、教員として復帰するまで、保健室からの学校改革奮闘記を記していきたいと思う。

#1突然私は不登校になった

遡ること15年前。

2005年2月11日金曜日。

卒業するまで後1ヶ月という時期。

バレンタインを次の週に控え、私はクラスメイトに配るチョコを事前に買っていた。

クラスみんな分にチョコをあげるために買っていたが、そのチョコを渡すことがなくなるとはその時には思ってもいなかった。

勉強も運動も好き。先生も好き。学校が好きであった。
明るく、友達も多く順風満帆な生活で、毎日楽しかった。

私はどこにでもいるいわゆる”いい子”であった。

しかし突然、そういった日常が崩れた。

きっかけはとっても些細な出来事。

放課後にクラスでなわとび大会をしていた。
二人一組のペアになり、一人が飛んでもう一人が飛んだ数を数える。

Aちゃんが新記録を出すくらい多く跳んでいた。みんな息をのんで見守った。
跳び終わった時、歓声が溢れ、何回飛んだかみんなが注目していた。

周りにいたみんな何回か気になったが、なんとペアの子が数を数えていなかったのだ。

Aちゃんは残念そうにして、先生は顔を真っ赤にして怒っていた。
そして私に向かって
「えび、立て。謝れ。」
と怒鳴った。
ーあれ私も数えていなきゃいけなかったのか。ペアは私じゃなかったのに。どうしたらいいんだろう。
戸惑っていると、すかさずもう一度
「謝れ。」
の一言。その言葉は怒りに満ち溢れていた。

どうしたらよくわからず、みんなの前に立ち、謝った。
「ごめんなさい。。。。。」

頭が真っ白になった。
ーなんで先生は私のことを分かってくれないんだろう。大好きな先生に何でこんなに怒られているんだろう。
その思いがあふれ、涙もあふれた。

いてもたってもいられず、泣きながら帰った。
頭のなかが整理されず、とにかく泣いて帰った。

家に帰って母が「どうしたの?」と私に聞いてきたががうまく説明できない。
結局夜になって、ようやく出来事を母に話せた。

そして
「学校に行きたくない。」
その言葉がでた。

この日から、数年にわたって学校に通えなくなる長い長い日々が始まった。
バレンタインに買ったチョコは自分で全て食べた。
#2 に続く.


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