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〜プペルやレターポットから見るキングコング西野氏の貨幣観について〜

金額設定していますが、全額読めます。購入して頂けたら今後の励みになります^_^

キングコング西野氏の「えんとつ町のプペル」という絵本を元にした映画が公開されています。巷では評価が分かれているようです。

自分は映画は観ていません。なので面白いのかどうかは分かりませんが、ネットのコメントで独特の通貨が出てくることを知りました。またレターポットなる貨幣的なサービスも行っている事も知りました。そこで西野氏が一体どのような貨幣観を持ってるのか調べた結果を書いていきたいと思います。なので、映画批評やレターポット賛否を問う内容ではありません。

まず、映画では腐るお金とは出てくるそうです。これは時間が経つにつれて額面の価格が減っていく通貨を意味しているそうです。またレターポットも文字を最初に購入した後、有効期限があり使わないと人に送る事ができなくなるそうです。ただ送られたら使える文字が増えるみたいですが、使わないと消えるそうなのでもらったらすぐ使う必要があるみたいです。

こういう貨幣を一般的に自由貨幣と言います。シルビア・ゲゼルというドイツ人経済学者が提唱した物が元ネタとなります。

ゲゼル氏は当時のある程度の富裕層が金利で生活し、それによって格差が拡大したり、利息分の利益の出ない事業に投資をしないといった問題を解決する手段としてモノや食料のように劣化する貨幣を考えたそうです。

本題とは逸れますが、この自由貨幣…今のデフレの日本には強制的に貨幣を流通させられるので良いように見えます。しかし、かのケインズが批判していたりします。「発想は健全で良い。が、貨幣というのはより流通しやすいモノが主流になる。自由貨幣で流通性が悪くなるなら他の貨幣や貴金属等に取って代わられるだけだ」と言うような事を言っています。(この括弧内は私の要約なので間違ってたら申し訳ありません)

話を戻しますが、西野氏はレターポットやプペルに出てくる貨幣の背景として以下のような考え方を持っています。2017年書かれたブログから引用します。

物々交換であった『自然経済』に始まり、貨幣が媒介物となって商品が取引される『貨幣経済』となり、信用が媒介となって商品が取引される『信用経済』となった。

僕は『信用経済』は二段階あると考えている。
言ってしまえば、「小切手」や「株」といった、「タダの紙切れ」や「約束」…つまり「その人の信用」で商品が取引された頃には『信用経済』は始まっていたが、とは言ってもそれは、会社や一部のお金持ちだけの経済で、個人レベルでは、まだまだ『貨幣経済』であった。

しかし今、個人レベルで「信用」が取引されている。
クラウドファンディングやVALUやポルカを使って、一般の女子高生が、自分の信用をお金に両替できるようになった。

会社や一部のお金持ちだけのものであった『信用経済』が、個人レベルで扱えるようになったのだ。

これを僕は『信用経済2.0』と呼ぶ。 

〜引用ここまで

確かに信用経済と言うこの単語…ここだけ見たら正しいです。しかし、始まりは物々交換と言っています。

どうも物々交換だった世界から信用を貯める時代だ!そこで考えたのがレターポット、そしてその貨幣観をプペルと言う作品に落とし込んだという事らしいです。しかし…

人類は最初から信用経済です!そして貨幣は債務と債権の記録です。この債務と債権!つまり相手に貸しを作ってもその相手は返してくれるに足る存在か?この信頼感もしくは信用から貨幣は始まっています。

これを信用貨幣論と言います。過去の記事でお金とは何か?①、②と商品貨幣論とは?〜物々交換から経済は発展できない〜という3記事で貨幣について詳細を書いています。

レターポットは一度購入したら円に換金できません。しかし、西野氏はこれが多くの人に使われるようになれば通貨として信認され、これでモノやサービスを得られる事が出来るようになると考えていますが、残念ながら貨幣観を根本から間違えているためこのようにはならないでしょうし、なっても一部かと…現にレターポットがスタートしてから2年ちょっと経ちますが、私はつい最近まで存在すら知りませんでした(笑)

また、このレターポットを理解するための説明としてゴールドスミスノート(金匠手形)の話が出てくるんですが、貨幣観を間違えてるせいか銀行券誕生の逸話のみで肝心要である信用創造の話がすっぽ抜けているという何とも不十分な説明になってしまっています。兌換紙幣から不換紙幣になった説明も主流派経済学者が言う共同幻想と同じような説明になっています。つまり、西野氏の貨幣観は新しいように見えて過去の間違った貨幣観を引き継いでしまっています。信用やゴールドスミスノートなど一部が正しい部分があるので、新しく見えますが…

信用を見えるようにしモノとモノの取引から脱却しようという考えは素晴らしいのですが、実は見えづらいだけで実際の社会はそうなっている事に気付いていなかったのは残念と言わざる得ないでしょう…恐らく映画もそういった部分があるために賛否があるのだと思われます。

西野氏をリスペクトされてる方へ誤解して欲しくはないのですが、今回の記事で西野氏全てを批判してるわけではありません。レターポットも貨幣ではなくサービスとしてみたら非常に面白いと思います。ただ、貨幣観は残念ながら間違えていることは否めないため、これを機に貨幣とは何かを知って頂けたら幸いです。

最後まで読んで頂きありがとうございます!

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