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欠点との付き合い

自分の欠点を欠点だと自覚したのはいつからだろう。

私は、どうしてそれをダメなところだと思うのか。

今回は、オードリー・ヘップバーンが自分の欠点とどう向き合ったのか、彼女の言葉から学び、この問題について考えてみる。


「自分自身に対して100%率直になって、欠点から目をそらさずに、正面から向かい合い、欠点以外のものに、磨きをかけるのです。」
山口路子.『オードリー・ヘップバーンの言葉』.大和書房,2016,20p

私は自分の欠点ばかりに目がいってしまう人間だ。それをどうにかして改善し、魅力的にしようと、もがく。改善できないのなら、それと向き合わず、いっそ忘れてしまおうと考える。でも、そんなのは綺麗事で、頭でそうしようと決めたって、心はどうやったって騙せない。鏡をみればそこにはっきりと欠点が存在する。

しかし、自分で自分の弱点を愛せなくとも、他人がそれを愛してくれることがある。不思議なものだ。他者の目線を気にして欠点だと決めつけたのにもかかわらず、それを欠点だと考えているのは自分だけだったりもする。

その一方で、それまで自分では劣っているなんて思っていなかったところを他者に指摘され、その日から急に欠点を自覚させられることもある。本当に迷惑な話だ。

私は、オードリーが欠点から目を逸らさないと言いながら、それをこねくり回してなんとかしようとしたり、隠したりするのではなく、他のいいところに目をやってみるのだというところに面白さを感じた。

自分の悪いところに気がつくと、まるで自分がその欠点100%でできている欠陥品のように感じることがある。ちゃんと正面から向きあえば、そんなことはない。素敵なところだってあるはずなのだ。私はこのオードリーの言葉を、「自分にないものに目を向け、与えられなかったことを嘆くのではなく、自分が持っているものをさらに素晴らしいものになるように努力しなさい」というメッセージだと受け取った。自分が持っているものに目を向け、それに満足するだけでは不十分なのだ。それを、努力でもって育てなきゃいけない。

そして、私がこの言葉を読んで、思ったことがもう一つある。欠点を欠点だと感じるのは、私たちが持っている先入観のせいじゃないかということだ。この社会には、よく考えれば根拠がないのに、正しいこと・事実だと決めてかかったり、思い込まされたりすることがたくさんある。私たちはそういった規範や固定観念を教え込まされたり、自然と身につけたりして、物事を単純に率直に見ることが難しくなっているのではないだろうか。自分の持っているものを欠点だと感じるのは、どうしてなのか、何が根拠でそれがダメだと思うのか、ふと考えてみるといいのかもしれない。オードリーがいう「100%率直になって」というのは、そういう意味なのかなと思った。


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