久しぶりに小説読んで感動した話 雷 鈞『黄』感想



雷 鈞『黄』 

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傑作です。


●はじめに

ネタバレ全開で書きます。




●まじで小説にしかできないこと

スケールが大きい話であり、しかしながら個人(アイデンティティ)というスケールの小さな物語であり、しかしながらタイトルの色が示す意味を存分に生かした推理小説であり、エンタメであり、文学やってますね。

文学やってんなーと思うのは、僕にとっては「驚愕という裏切りによってもたらされた感動」という一言に尽きます。

もちろん薄暗い世の中の奥底に潜む感情を人前に引き釣り出してきて、感情を揺さぶられる作品に対してだとか、極上のイメージや色彩感覚を文字という媒介によっていやおうなしに伝えてくる作品というのもごまんとあり、そういった作品に心を動かされてこなかった訳ではありません。

この小説の主人公は目が見えません。そして中国の孤児院で育ち、ドイツからやってきた正に「貴族」レベルのお金持ちの両親に里子として引き取られます。

主人公のベンヤミンは生まれつき頭がよく、目が見えない代わりに聴覚がいいため、他の人に比べて目が見えないという事に対するハンディキャップを物ともせず、なぜ目が見えないというだけでだれかに蔑まれなければならないのかと思う、ある意味プライドが高い男の子です。

そんな彼がある事がきっかけで、自分の生まれ故郷のある山村の6歳児が両目を誰かにくりぬかれて死にかけたというニュースを文字通り耳にしたことで、物語は動き始めます。

ベンヤミンは、自分と同じ境遇の生まれ故郷の男の子に、目が見えなくても生きていることを証明するために、中国に渡ろうとするのです。そして自前の切れる頭でだれが男の子の目をくりぬいたのか、犯人を突き止めようとするのでした。

…という言ってしまえばありきたりな物語の始まりでしたが、この小説の一番最初に掲げられている叙述トリックという目に見える形で提示された牙が、最後の最後で噛みついてくるのです。

ですが、この噛みつきというのは小説という媒体なしには成立させることができなかったと思います。映像を入れてしまうと、ます僕ら読み手は語りてである所のベンヤミンと目線を合わせることができません。

字ずら以上の情報は読み手にとって、本作に限って言えば害悪でしかないからです。

また、そして意味もなく繰り返される推理の現場とベンヤミンの回想シーンですが、これ映像でやったとしたら読み手が関心を失った所で最後の推理の情報開示の時点で振り返る事がかなーり難しくなると思います。

この小説の優れている所は、この回想意味あるんですか?といわんばかりのベンヤミンの回想シーンなのですが、これ細かく分析していくと面白いかもしれないくらい、絶妙な情報開示の仕方をしていると思います。

一つ一つのエピソードが平坦ではなく、それぞれ起伏がある小話の連続であることもいい味を出していると思いますが、出てくる登場人物たちにこっそり最後のどんでん返しの為のエッセンスが入っているというのがうまいのです。

読者の意識の中に、こっそりと忍ばせたベンヤミンの生い立ちをたどるようなエピソードは推理の現場に立ち向かうベンヤミンの状態と重なる時に想起するようにうまくつなげていること。それから、各エピソードに漂う違和感の中身をかき消しているのが、ベンヤミンの持つプライドの部分にあるという事。そして、そのプライドの部分というのが「目が見えないけれど、僕は自分で生きていくことができる、目が見えない事がなんだ」というものであり、そこに対して僕たちはベンヤミンに同情や、悲哀を向けてしまうかもしれないし、ベンヤミンを応援してしまうかもしれないし、ベンヤミンがんばてんなぁなんていじらしい、と思っちゃうかもしれません。

ですが、ベンヤミンはそのプライドのおかげで、ある意味自分の姿というのを最後の最後まで知らずに済んだともいえる訳です。


●究極の落ち、究極のミスリード、叙述トリック

究極のミスリードは、ベンヤミンが人の感情について見えていなかったという事でした。

しかし、それに気が付くシーンの答えが、ベンヤミンは中国生まれの孤児で、先天性の盲目であることから、自分が黄色人種であると思い込んでいたけど、実際は黒人の両親に捨てられた黒人の子供だったという事とはね。

この物語の謎の部分についてはあとがきにありますが、実際に中国であった事件をもとにしているそうです。そして、その事件はいまだ解決していないんだそうですね。

訳者の方は、作者の事件への推理というのはこの未解決事件に対しての、作者なりの解釈であると言っていましたが、その解釈を本作の主人公のベンヤミンがこの事件を解かねばならなかった理由にまでしてしまうとはね…

目が見えない事によって、今まで十数年くらい肌の色が黄色の中国人だと思い込んでいた、色の見えないベンヤミンが、実は自分は黒人であったと知ったら、それを永遠にベンヤミンは証明できないので、精神が壊れてしまう。

それを危惧した両親が、ベンヤミンの頭の良さを利用して、自分の肌の色を推理させ、導き充てるように莫大な金を積んで配慮したというね…

両親のくそでか感情による、プレゼントだっていう…

なんちゅう小説なんだろう。


●最後に

色々な違いが人間と人間の間にあって、それらは僕らの情報源が目による視覚情報から入ってしまう事というのは逃れようがありません。

逃れられるなら、色彩によって人間の食欲が変化する傾向なんかあるわけがありません。日の光を浴びることで、気持ちよくあることも夕焼けを見て心が沈むこともなく、海を見ても涼しいと思う事はないわけですわ。

そういった情報のない小説という媒体の中で、色を全面に押し出した本作が打ち出した色彩『黄』は、黒い肌を持つ、中国生まれ、ドイツ育ちの盲目の少年が打ち出した推理の中で、彼のアイデンティティにまつわる部分を存分に打ち出しました。彼の中に流れる様々な潮流が大きなうねりとなって黄河のように彼の中を流れている。

その中にあふれる感情を生み出したのは、周りの人たちから受けた愛情でした。目に見えない愛という感情です。その感情に気づく事によって、自分の見た目というベンヤミン自身が決して自分に証明する事のできない「色」を受け入れることができたという事。

この小説が示した世界というのは偉大だと思います。

まじで体中しびれたし、自分がいかに物を決められた見方でみているのか、まざまざと見せられたし、はっきりいって登場人物みんなうさんくさかったけど、それらがベンヤミンに対する愛情がそうさせていたってことを知ったらベンヤミンになっちゃうよ読み手は。

自分の中の常識を壊してくれた本作に感謝を。

ああ、小説読んだなって素直に思わされました。


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