父のかけた魔法はとけない


迷いが生じた日
もやもやと心が落ち着かない日
少し落ち込んでしまった日

眠れない夜


星空を眺めてみる。
すると
亡くなった父の笑顔と口癖がよみがえってくる。

笑っていればいい。
おまえの好きなことをやればいい。


人は期待をする生き物であると思う。

まず
自分に期待をする。

自分が何者かになれるかもしれないと思って挑戦をする。
自分はもっとできる。
こんなものではないと思うから、期待をかけ、前向きにもなれる。

しかし
ときにはうまくいかず、自分自身に失望もする。

他人にも期待をする。

それは悪いことではない。

しかし
期待をするから、うまくいかないときに裏切られた気持ちになる。摩擦が生じることもある。


父は
私のやりたいことに反対しない人だった。
進学も就職も結婚に対しても一切口を挟まなかった。

反対もしない代わりに
アドバイスもない。

思春期のときは
そんな父を少し心細く感じていた。

友だちは親に言われて塾に通っていた。親の勧めで進学先を決める子もいる一方で、親から期待をかけられ、プレッシャーに押し潰されそうになっていた子もいた。

少しくらい何か言ってくれればよいのに。
娘への期待はないのかしら。
そんな風に思うこともあった。

「私にどうなってほしい?」

父にこう尋ねたことがある。

「うん。まあ。
   なんでもええよ。」

「えっ?なんでもいいの?ちょっと無責任じゃない?期待とかはないの?」

すると

「そうか。うん。
そうか。期待か、、、。なくもない。」

まったく煮え切らない父である。

笑っていればいい。

「なにそれ?将来、娘に何になってほしいっていう希望はないの?」

おまえの好きなことをやればいい。


父の言葉はいつも変わらなかった。娘はその言葉を半分呆れた気持ちで聞き流していた。

私の中で
父は
頼りにならない
へなちょこであった。


しかし

父が亡くなり

時を経て

その言葉が突然よみがえることがある。
それは呪文のように私の中で何度も何度も繰り返される。

笑っていればいい。
好きなことをやればいい。


人生の岐路
迷ったときには

笑顔になれる選択をする。
やっていて楽しいと思えることをする。

それは

失敗をしても後悔のない選択になる。

そう思うと
思いきってチャレンジができる。


憂鬱で
落ち込む日もある。

すると
不思議とその言葉が私の中で、頭をもたげてくる。

もしかしたら
父の存在は生前より今のほうが私にとって大きいのかもしれない。


今夜も
私は迷っている。どちらに進むか決断しなければならない。

星と満月が私を見下ろしている。

笑っていればいい。
好きなことをやればいい。

へなちょこ父さんの言葉が
よみがえる。
何度も。
何度も。

そうだよね。
私は私に期待をする。この先の私の人生にも期待をする。

失敗のない人生ではなく
笑って生きる人生を生きたい。

いつの間にか
へなちょこだった父は
頼りがいのある父に
昇格していた。

失敗したら、その失敗に意味をもたせればいい。

好きなことをしよう。
笑って生きよう。

父の魔法はじわじわと効いてくる。












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