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"違いを知ること"、"比べること"は悪くない

"人と比べる"
"人の目を気にする"
"差別"
"ジェンダー"

ここ数日、なぜかいろんな人との
会話に出てきたキーワード。
(どれも食事や呑みの席でのカジュアルな会話)

これは私なりの感想だけど
比較だけなら分析で終わるのに

優劣をつけるための比較だったり
一方を下げてもう一方を上げる表現が
人の心をザワザワさせるんだろうなと。

自分軸で"人の目を気にすること"は
物事を多角的に見られてプラスになるし

"違いを知ること"は
理解することに繋がるし

身体や脳の構造、
年齢やハンディキャップなど
人それぞれの違いを知ることや

違いを理解した上での
公平な対応は必要だと思う。
("平等"と"公平"を混同しない)

「区別と差別は違う」
「人は比較することで認識している」
という言葉が心に残っていて

確かに、比べるものがあるから
"背が小さい"、"声が高い"など
自分の特性がわかるわけだし
長所や短所に気づいて成長もできる

そういったことも理解した上で
悩み、努力してきた人達が出した答えが
「比べなくていいんだよ」「自分ファースト」
なんじゃないかな?と思うけれど

言葉の意味はとても深いのに
表面的な意味だけで捉えられ

"ワガママに生きる武器"のように
伝わってしまうのは残念だなぁと
ときどき、思います🥺

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