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忽湧 6/22 「柊虫」
今日、散歩をしていたら生垣の柊を触る3歳ぐらいの女の子を見かけた。
お母さんと思われる女性が
「そんなもの触ると危ないよ」と注意したところ、
女の子はいたずらっ子のような笑みを浮かべ、柊を捨て、お母さんの後ろをつけて行きました。
柊の葉の棘は少しツンツンする程度では外皮を突き破ることもない。
私も小学校の頃、好奇心と危ないものを触る興奮でよく触っていました。
とはいえ今はもう触らない。これは大人になったとか、成長したからとかではなく、トラウマからです。あれをまだ夢だと思いきれないんです。
あれは確か、小学校2年生ぐらいだったと思います。通学路として指定された道の途中にお爺さんが一人だけ住んでいる大きな屋敷があったんです。
お爺さんは変な宗教に入信していて、大人から警戒されていたのを後になって知りました。
凍える寒さの冬でもその屋敷は鬱蒼としており、常に青々としていて。
玄関の石段以外は全て生垣で囲われており、それは全て柊でした。
指定された通学路ですから、人も多く、PTAの人がいつもは立ってるんですが、その日の私は合唱コンクールの準備をしていたため、
もう夕焼けとなった空の下には誰もいません。
これはチャンスだと思いました。
当時の私はとにかく花や葉っぱを千切って持ち帰るのが好きでしたから、
人のいない今、誰にも怒られることなく、集められるぞと。
悪いことをしている自覚はあったんですよね。
ツツジを咥え、その辺の葉を手に持って、てくてく一人で歩きました。
そして、私はあの家の生垣を見て、柊の葉を持ち帰ろうと思ったわけです。
周りに人がいないのを確認し、柊の葉を撫でました。
どこまで強く触ると痛いのか、そのギリギリを攻める一種のひとり遊びです。
軽く揉んで、触る。まだ痛くない。
押す。まだいけそうだ。
握る。何も感じない。
痛くない。
おかしい。棘まみれの葉を握っているのに。手がおかしくなったのか?そう思い私は恐る恐る手を開きました。
そこには柊の葉はなく、なんといいますか、人の顔のついた虫がいたんです。
カメムシに顔がプリントされたような、そんな見た目です。
当時は昔の人の顔だとしか認識していなかったのですが今思い返すと、多分、コペルニクスだったと思います。
「なあ」
そいつは話しかけてきました。
「だめだろう。そんなことしちゃあ。」
なんなんだ。これは。
気持ちが悪い。嫌だ。
頭がぐるぐるして、クラクラして。何も考えられませんでしたが、とにかくこの虫が嫌で嫌で仕方ありませんでした。
すぐに手を振り払い、家に向かって走りました。
私はあんなものがこの世にあると考えたくはなかったのです。
あの虫からなるべく離れた場所に行きたかったのです。
家のドアに手をかけ、料理の準備をする母と早めに帰ってきた父を見た時、ようやく安心できました。
よかった。帰ってこれた。私は安心して明日を迎えられると。
「おかえり。手洗いうがい、忘れずにね。」
間延びした返事をしつつ、母の隣で蛇口を捻って。手を洗おうとした時。
何かある。無我夢中で気づかなかったが、集めた葉っぱを握ってくしゃくしゃにしてしまったかもしれない。そう思いました。
そっと手を見ると、ウェーブのかかった、柔らかい毛が私の汗と白っぽい汁に絡まってべとりと張り付いていました。
私の両親は。その手を覗き込んで。
「だめだろう。そんなことしちゃあ。」
以上です。
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