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[恋愛小説] 1976年の早春ノート 第3部..4/初夏の北海道 その2

道東の予定したルートは、帯広町~厚岸~落石~根室~中標津町~羅臼~斜里~網走~紋別~枝幸町~稚内だった。

やはり北海道は広い、地図を見ていても、本州とスケールが違いすぎて、行けども行けども、たどり着けない。

襟裳岬では、オートキャンプに泊まる。
綺麗な芝生で、テント生活も悪くない。
そう考えれば、これも北海道らしくて、良いねと泉は言う。

東海岸線から、北上し帯広へ。

農耕馬の競馬を観た。
1tの重しを荷台に載せ、200mを何頭もの農耕馬が坂を上り、喘ぎながら進んで行く。
関東のあのサラブレッドのレースではない。
だが、何故か感動的だった。
十勝に住んでいたら、毎回来ると思う。それ位感動的だった。

夜、名物のジンギスカン焼きを食べるが、やはりラムとは言え、匂いが…
丸太小屋のユースホステルに泊まる。
一般的に宿泊客は、大学生が多いが、この時期まだ少なく。
食堂で彼らと雑談する。若い。皆よく笑う。こんな宿も良い。夜も静か。

泉の友人が厚岸で、牡蠣の養殖業を営んでいるので、寄って食べさせて貰うが、これが絶品で、肉厚が凄い。
海のミルクと言われている理由が分かった。
その他の貝類も新鮮だからか、バーベキューで食べたが、皆美味しかった。友人に別れを告げ、先へ行く。

その後、落石から根室、中標津そして羅臼へ回る。

この時期のせいか、海から冷たく湿った空気が流れてきて、霧が多い。

野付半島へ寄る。
霧が深く、ゆっくりと走る。まるで、スープの中を進んでいるような。
寒く、風も強く。
余り長い時間、外に居るのは無理。
天気が良い日に来たい。

羅臼へ向かう途中、給油でGSへ寄るが、ストーブを付けていた。
外気温は7度だった。
道理で寒いわけだ。
泉はフィシャーマンズ・セーターまで出してきた。

羅臼では、海岸線沿いの宿に泊まる。
部屋はオホーツク海に面しており、夜はイカ釣り船の漁火が水平線に並んでいた。
朝2時過ぎにふと目が覚めて、窓の先に見える漁り火を見ていた。

夜明けが近づくと、泉も目が覚めて、二人で夜明けのドラマをズーと見ていた。
話もせずに。
まだ、付き合い始めた頃に、見た阿字ヶ浦の夜明けを思い出した。

知床半島の先へ行くと、通行止めのバリケードがあった。
それ以上、行けないわけだが、何か哀愁を感じる場所だった。

海岸におり、海縁の温泉に入ろうとするが、満ち潮で海水が入り込んでいて、寒くて入れなかった。

その代わりに、峠の途中にある熊ノ湯という天然温泉に入ろうとするが、今度は熱くて入れない。
水を入れると地元の客に怒られそうなので、彼らが引き上げてから、水を入れた。
泉は水着を着ていて、少しがっかりだ…。

峠を越えて、羅臼湖の二の湖をトレッキングする。
最北端の山は、高度が低くても、2000m級の雰囲気があり、不思議だ。

峠越えして、北の海岸へ出る。
ウトロ港から観光船に乗り、知床半島との先端まで、行く。
海は冷たく、風も痛いくらいだ。
泉の肩を抱いて、海を見ていた。

下船後、海岸線を南下する。
オシンコシンの滝を見る。
山の水が滝のまま海へ流れる。ダイナミックだ。

サロマ湖の東岸にあるホテルに泊まる。
夕方、湖水に沈む太陽を見て不思議な感覚になる。

定番の網走刑務所は、翌日見学した。
優は、独房に入って喜んでいた。

泉「そこに、ずーと居ても良いのよ。」
優「ええ、そんな~。」
と、冷たい泉…。何かを感じているのか、それとも知っているのか。こうして、時々思わせぶりな事を言う。

国道239を北上する。
紋別を過ぎると、人家もなく、荒涼とした道に成る。
日本離れしている風景の中をランクルが進んで行く、がそれが似合う道だった。
右手のオホーツク海を見ながら、どこまでも続く道…。

最北端、宗谷岬についた。
円錐形のモニュメントで二人記念撮影をとる。
この先は、ソビエト(今のロシア)だと思うと特別な感じがした。

この3ヶ月後に、大韓航空機撃墜事件が起き、269名が死亡した。

それが、1983年6月の出来事だった。





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