[恋愛小説] 1974年の早春ノート.../2. 小さな恋のメロディー
出会いから次の日曜日の午前9時40分、水戸駅の改札出口前で、優は泉を待っていた。
今日、坂井泉と初デートだ。
緊張している。
昨晩から緊張して、寝付きが悪かった。
なにせ本格的なデートは初めてである。
何処へ行き、何を話し、何をするのか、昨日から何遍も頭の中で、シミュレーションを繰り返し、万歳の体制で来たつもりだが…それでも、緊張している。
彼女が来なかったらどうしよう。
そしたら、どんな顔してこの場を去れば良いのか…そこまで、考えていた。
10時の約束なのに、20分も前に来てしまった。
こんなに緊張するのは、生まれて初めてかもしれない。
目の前を、色々な人々が通り過ぎて行った。老若男女、世の中には、こんなにも様々な人々がいるのだと、改めて思った。
10分前になった。時計の長針がゆっくりと進む。
彼女は、水戸の隣町の勝田から来る。
小豆色の上り電車がホームに入ってきた。
下車した人々が、皆改札出口に向かって歩いてくる。
人々の後ろのほうに、坂井泉が見えた。
彼女が近づいくる。良かった来てくれた。一瞬、ホッとした。
今日は私服だ、明るい色花柄のブラウスに、紺のロングスカート、長い髪は後ろで纏めてポニーテールに…。
アメリカングラフィックの映画から出てきたような、その姿に一瞬見とれた。
綺麗な娘だ。改めてそう思った。
彼女が歩くとその周囲が何故か明るくなるように感じた。
泉「待った?」
優「いや、今来たところだよ。」
今日のデートコースは、商店街を歩いて泉町三丁目の映画館で「小さな恋のメロディー」の再上映を見ることになっている。
同じ下宿にいる高野が教えてくれた。その通りのデートコースなのだが。
駅から泉町まで歩くと20分位掛かるから、普通はバスで行くが、この日は、二人で歩くことにした。
二人で歩きながら話をした方が、良いというアドバイスの通りに。
銀杏坂を二人並んで歩く。
優「ちょっと遠いけど、歩いて行こうか。いい?」
泉「商店街を歩くの久しぶり、ぶらぶら行きましょ。」
優「上映は11時からだから。」
泉「福田さん、今日は下宿から来たの?」
優「ああ、そう。遅れると不味いから、下宿から来た。」
泉「下宿って、いいな。ひとりで自由でしょ。」
優「まぁ、そうだね。」
流石に、今度遊びにおいでよとは、まだ言えなかった。
優「呼ぶときは、福田じゃなくて、優で良いよ。」
泉「じゃ、私のことも、泉って呼んで。」
優「分かった。泉さん。」
泉「うぅ、ちょっと違うな。」
優「えっ、じゃ、泉ちゃん。」
泉「呼び捨てでいいから。」
優「あっ、そう。」
初デートから何気に泉にリードされている優である。
二人で歩いていると、向こうから歩いてくる人達の視線を感じた。
最初に泉を見て、それから優を見る。
それが、何回か繰り返されると、泉は人々の注目を集める娘なのだと知った。
もう5年も水戸にいるが、駅からこんなに歩いたのは、初めてだった。
でも、その道程は、長くは感じなかった。
ふたり共、話に夢中だった。
特に盛り上がったのは、優の男子中学校と泉の女子高校の話題である。
優「だから、冬の体育の授業は、ラグビーしかしないんだよ。たまに他のことは、しないんですかって、聞いた奴がいて、先生にビンタされていた。」
泉「あはは、へー。やっぱ違うね。」
優「だからフォークダンスはしたことないんだよ。」
泉「大丈夫、今度教えてあげる。」
優「よろしくお願いします。」
泉「ふふふ。」
映画館の中でも、緊張した。
ふたりで並んで座っている。優の左手に泉がいる。
やがて暗くなり、映画が始まる。
ビージーズのテーマソングが流れ、マーク・レスターとトレイシー・ハイドのふたりが隠れてデートするあたりで、優は泉の二の腕が密着しているのに、気が付く。
さっきまで、離れていたはずだが…。肌を通して、その温もりが伝わってくる。
どうしよう、既に優は緊張している。Gパンがきつい。
だが、それを悟られると恥ずかしいので、腰を浮かす。
ある意味、それは拷問だった。もしかして、甘い罠かもしれない..。
手を握った方が、良いのか?いや握るべきなのか?
やがて、泉の指が優の指に触れる。
お互いの指が絡み合い…。優の左手の指と泉の右手の指が、求め合い絡み合う。
暗闇の中で、ふたり手を握る。少し湿っぽいのは、優が手に汗をかいているからか。
でも、泉は何気ない様子でスクリーンを見ている。優も泉の方を見たいのを我慢して、正面を向いているが、もう頭は真っ白で、何を見ているのか分からないし、ストーリーも分からない。
最後ふたりがトロッコで行くシーンで、泉が少し涙ぐんでいる。どうも悲しい展開のようだが、ストーリーがまったく読めない優は、ハンカチを出す機転も無い。
自分でハンカチを出して、目頭を押さえている泉がかわいいと、心底思った。
この時、この娘の恋人になり、映画の中の彼らのようにキスしたいと思った。
エンドロールが終わり、館内の照明が付き、隣を見ると泉が目を赤くして、ハンカチで涙を拭っていた。
声を掛けるのが、憚れたが、周りの客はほぼ出て行って、ふたりだけになりそうだった。
優「大丈夫。そろそろ出ようか。」
優しく声を掛ける。
泉「うん、大丈夫。」
泉が椅子から立ち、出口へ向かう。
外は明るく、眩しい。ふたりの上には晩秋の青い空が広がっていた。
黙ってふたり、大通りへ向かって歩く。
いつの間にか、優は泉の手を軽く触れ、手をつないだ。
映画の余韻がふたりを包んでいたので、話しかける雰囲気でも無かったが、余り沈黙が長いと、不味いと優は思い、話しかけた。
泉「良い映画だったわね。」
優「ああ。」
泉「あのふたり、どうなるのかな?」
優「幸せに成るよ。」
泉「そう、幸せになるわよね。」
優「ああ。」
それ以上、話す必要は無いと優は思った。
暫く黙って、大通りを歩いた。
日曜の午後は買い物客が多く、賑やかだった。
が、ふたりの周りだけは、静けさが包んでいたと感じたのは、優だけでなく、泉もそう思っていたと、後日聞かされた。
銀杏坂の中程にある珈琲専門店に寄った。
優は放課後良く、悪友達とここにしけ込んで何時間も粘っているので、マスターとも顔なじみである。
彼は優が泉を連れてきたの見てを、「おっ」という顔をして、少し微笑んだ。
優「珈琲はみんな美味しいけど、何か食べた方が良いよ。」
泉「うん、じゃー。」とメニューを開き、選び始めた。
優「じゃー、ストロングとミックスサンド。」
泉「私はウィンナコーヒーとミックスサンド。」
優がウェイトレスを呼び、それらを頼む。
泉「優さん、いつもここに来るの?」
優「うん、友達と放課後に。」
泉「もしかして、タバコ吸うの?」
優「うぅん、たまにね。」
これは、嘘である、一日に10本は吸っている。
泉「へー、不良なんだ。」笑いながら言う。
優「まー、その健康のためにね。」
泉「またー、優さん、冗談が…。」
優「勉強の合間に嗜む程度だよ。」
泉「たしなむ、ですって。」
そんなたわいも無い会話と食事が終わり、店を出る。
優「帰る?」
泉「うん、今日は帰る」
優「じゃー、駅まで見送るよ。」
泉「うん。」
優「今日はありがとう。楽しかったよ。」
泉「ねっ、あたし、お弁当作ってあげる。」
優驚いて、黙っている。
泉「明日昼休み、一高の前の橋で渡すから。」
優「いいよ、悪いよ。」
泉「だって、下宿生でしょ。さっきお昼は販売所のパンだって言ってたし。」
翌日の昼休み、学校前の橋で泉がお手製の弁当を持って待っていた。
傍を通る学生が皆見ていたが、泉は「はい、これ!」と差し出した。
優は、恥ずかしく、顔を真っ赤にしていた。
それが、1974年10月の出来事だった。
タイトル一覧と公開予定日
第1部
1.ダンスは踊れない^7/4
2.小さな恋のメロディー^7/5
3.弘道館公園^7/6
4.クリスマスの夜^7/7
5.春の気配^7/8
6. 新緑の頃^7/9
7.夏の日々^7/10
8.インディアンサマー/ ^7/11
9.八王子って何処?/ ^7/12
10.雨のステーション/ ^7/13
第1部 登場人物
福田優 :水戸の進学高校の3年
坂井泉 :水戸の女子高生3年、優の恋人
坂井珠恵 :泉の母
坂井耕一 :泉の亡父
宮本靖 :優の高校の友人
山本小百合 :水戸の女子高生3年、泉の友人
福田靖 :優の父
福田千里 :優の母