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堀口捨己 近代建築の目撃者/佐々木宏編 建築の書架から  その6

1977年神田・南陽堂で購入。先日今井兼次先生のヨーロッパ遊学について、引用したのはこの本である。この本も家宝の一つである。
1922年から33年(大正末から昭和初期)までに、海外へ行き当時の新興建築を体験、学び、師事した8名の建築家の証言談である。インタビューし編纂したのが、法政大学の佐々木宏先生である。
登場する8名(以下敬称略)は、いずれも建築関係者なら一度は見聞きしている著名人である。この時期の彼らの活躍が今日の我が国の建築のレベルを築いた訳で、彼らの活躍無くして現在の日本建築は語れない。一人ひとりについて語ると、それこそ一人一冊の本が書ける位密度は高い。既に前川・今井先生は触れたので、今回は堀口先生についてこの本のインタビューから簡単に紹介する。
以降一日一人のペースでご紹介したい。


堀口捨己 1923-1924 訪欧

1895年岐阜県生まれ。帝大建築学科卒。分離派建築会を結成。1923年訪欧、帰国後、著書「現代オランダ建築」などで西欧の近代建築の紹介に努めながら、紫烟荘(1926)、岡田邸(1934)、若狭邸(1939)など傑作を発表。その後日本の伝統的建築にも深い関心を寄せ、利休の研究、茶室建築の権威となる。明治大学、神奈川大学教授。明治大学和泉キャンパス第二校舎。同大学建築学科創設者。同建築学科卒業設計最優秀書は「堀口賞」

ウィーン分離派(ゼツェッション)
1897年 ウィーンでクリムトを中心に結成された新進気鋭グループ。19世紀の歴史絵画、伝統芸術から分離し、独自の展示施設で展覧会を開催し、新しい芸術表現を追求した。


ヨーゼフ・ホフマン ストックレー邸(Le palais Stoclet)世界遺産

ブリッセル

建築家ヨーゼフ・ホフマン 内装はグスタフ・クリムトとフェルナン・クノップス

クリムトによる装飾

オットー・ワーグナー ウィーン郵便貯金局

ウィーン郵便貯金局 オットー・ワーグナー

アドルフ・ロース 
ヨゼフ・マリア・オルブリッヒ セセッション館 ヘッセン大公の結婚記念塔、ダルムシュタット芸術家村「マチルダの丘」


セセッション館(分離派会館) ヨゼフ・マリア・オルブリッヒ
ヘッセン大公の結婚記念塔 ヨゼフ・マリア・オルブリッヒ

ピーター・ベーレンス A.E.G タービン工場


ピーター・ベーレンス A.E.G タービン工場

エーリヒ・メンデルゾーン アインシュタイン塔 、ベルリナー・ターゲブラット新聞社



ベルリナー・ターゲブラット新聞社

バウハウス(ベルリン)
アムステルダム
ヘリット・トーマス・リートフェルト シュレーダー邸


ヘンドリク・ペトルス・ベルラーヘ
オランダの近代建築の父と呼ばれる 所謂アムステルダム派
ユーロネクスト・アムステルダム(アムステルダム証券取引所)

デン・ハーグ市美術館

デン・ハーグ市美術館 外観


デン・ハーグ市美術館 内部


ミケル・デ・クラーク エイヘンハールト集合住宅(1920)
労働者階級向け集合住宅 レンガの曲線 現在も使われている

ミケル・デ・クラーク エイヘンハールト集合住宅

デ・ダヘラート集合住宅

デ・ダヘラート集合住宅

この時代のオランダはコンクリートの使用が禁止されていたらしく、レンガ造になっている。が、曲線を取り込み、多彩な構成をしている。

まさに第一次世界大戦後のドイツ・オーストリアからオランダ・フランス・イギリスと当時最先端の建築を網羅し、帰国後出版し広めた業績は大きい。

堀口先生は、明治大学建築学科の創設に関わり、同大和泉キャンパスや第二校舎設計も行う。また同学科卒業設計の最優秀賞名は「堀口賞」である。

明治大学和泉キャンパス第2校舎

蛇足だが、水戸気象台も昭和10年竣工の観測台は堀口先生の設計。今回始めて知った。学生時代、下宿の傍だったので、よく目にしていた。


水戸地方気象台

以降は後日

土浦亀城


今井兼次


藤島亥治郎


前川國男


村野藤吾


山口文象


山脇巌





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