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2022/09/29 16年も親

 弁当を作りながら、つらつらと考えていた。16年も親してきたなあ、と。そもそも親業には向いていない。ようこんなところまで来た、と思う。そもそも私は自分の血がつながる子を残す気はなかったから、こんな世界線に自分が来るとは思わなかった。気の迷いもたまにはいい仕事をするな、と思う…なんて書くと私が子らの存在に否定的に取られてしまいそうだけど、子らと出会えたことは唯一無二であるし、精一杯やってきたし、くだらない私の人生の中でも特筆すべき良さがあると思っている。

 で、弁当は見出し画像に。タレに漬け込んだ状態で届けられるトンテキを1パック残していたので、それでトンテキ弁当。豪華だー。切らなければもっと豪華だろうけど食べやすさ重視。他に小松菜と揚げのおひたし、だし巻き卵など。

 午前、読み物。ずっと調子を崩していて、もう好きなものしか読めん。今短歌が全然読めない。たくさん歌集の謹呈をいただいているけれど、こちらのアンテナが下がった状態で、魂とお金のこもった歌集を読むのは失礼な気がして包のまま積んでいて心苦しい。別の取り組んでいる方のものを集中的に読んでいる。

 ひとしきり読んでからそっちの資料を作って短歌世界に戻る。「かばん」の前号評を書く。意地でも全員分書く。「なんでも入るかばん」というのが、我が所属するかばんのモットーだという。私もそれには賛同している。だとしたら、私はやっぱり全員分に言及したいと思ってしまう。自分の好きなものにだけ書くならそれは違う、と思ってしまうから。

 〆切まで1週間。そしてあと27人分。普通に書けるど、間に合うど、(「ど」は私の地元の言葉で「だろう」)と思いつつ、それがぶっ飛ぶようなアクシデント発生を恐れている今日この頃。発生しませんように。

 昼前に食料の買物。周到に買い物リストを作る。晩飯の主菜4品と副菜8品、弁当のおかず主菜3品と副菜6品を朝飯のおかずなど含めて、材料のやりくり出来るように考える。それと切れた調味料やコーヒーやお菓子やいろいろ。頭がパンクしそうになって雑に買物をすると後で苦しむのは自分なので、必死にやる。

 いつもの量販店Dへ行く。春先にいた仕事してるふりをしている店員さん、ついにやめたと夏に思っていたら、やめてなかった。より高等なさぼりを発揮していて感心する。これ、同職種で働いていた人は見たら全員がわかると思うのだけど…私がそうだから。

 昼からも評を書く。面白い。一首ずつ知らない言葉を調べて、絶対に逃したくないものを見つけて、言葉にする。大変だけれど言葉にする楽しさがある。

 夕方帰ってきた息子1が、明日の文化祭本番で吹部の演奏する曲中の自分のソロの録音を聞いている。いやはや非常に調子良く吹いている。十分に及第点。本人はもっと高い理想があるらしくてムームー言って音源を聞きソファーでのたうっては立ち上がって、楽器部屋で家の楽器でひとしきり吹いて帰ってくる、を繰り返す。若さだ。

 音声は先輩が録ってくれたものだという。そうか、今の子はいつでも録音出来るのか、と年寄りのようなことを思う。録音をやり取りしてわいわい意見を言い合っているのが非常に青春。良い。こういう高度なやり取りが出来る子がいる学校に行って欲しかったので母としては良かったなーと思う。一応現役吹奏楽関係者なので改善点はいくつも見えるけれど、なかなか子の心の琴線に触れるような上達のアプローチが出来ず、いつも歯がゆい。というか、親に言われたらもう即アウト、その方法は採らない人なので、忌憚なく言ってくれる仲間たちがいてくれることがありがたくもある。

 晩飯、筑前煮とサバのパン粉焼き、ごはん、納豆。完璧にメニュー立てしてから買物をする作戦、良い。私の頭の料理の部分に新しい風が吹いた。

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