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書きたいだけ書くnote日記 2022/03/04

子の卒業式、すき焼きで例の春菊攻略、note記事に侵攻に関わる地名を書くと注意文が出るようになった、など。

2022/03/04 卒業式

少し冷えたものの晴れてくれてありがたい。勝手なメロディーが口から出てくるので、息子1に歌って聞かせると、レミオの『3月9日』だわ、と言う。続けて「俺が昨日から歌っていたからじゃね? 」とも。そう、歌っていたな。

 そう言えば、何年か前、息子の中学の合唱部がこの曲で、歌番組に出演していたことを思い出す。良い歌。

 今日は息子1の卒業式。去年の息子2の卒業式は感染禍の間隙を縫って、1児童につき同居家族2人が参加出来たけれど、今回は1人のみ。ということで、その権利はオットへ。体調が微妙。行きたくてたまらないオットのかわりに行って具合悪くなったらお祝い気分にミソがつきそうなので。実は行けるなら着物で行こうと思って、子が学生の間に一度はやってみたかった色無地に紋付きの黒羽織を考えていたものの出してもいないし。これはこれでいいのだ。
 時間になって、本人はまだ今後も続くかのようなゆるさで、オットは自転車で軽快に出かけて行った。私はその間に書き物などをして、皮膚科へ。薬をもらいに。

 それにしても短かった、中学校生活。いつぞや教頭先生とお話した時に「中学校は一瞬です。あっという間ですよ」とおっしゃっていたけれど、本当にそうだった。こないだ入学したばかりという気分なのに。1年の冬に感染禍が発生。それまで私は学校行事やPTAものには欠かさず行っていたのにそこからはめちゃくちゃ…家庭訪問はないわ、PTA行事は無くなり、結局2年の担任も3年の担任もお顔をよく覚えていない有様。散々な中学時代だったと思う。

 オットは12時過ぎに、息子1は1時頃帰ってきた。感染禍で運動場に卒業式の看板が立てられ、そこが写真撮影会場で、それぞれ親子で、友達同士で撮っていたという。スマホは学校内持ち込み禁止であるものの今日は黙認。へええ、と思う。オットはたくさんの親仲間に会ったという。当然ながら私は家にいて会えず。9年なり3年なりつながってきた人たちと、これでおしまいなのだなあ、と思う。
 子が絡むとどうしても純粋な友達にはなりえないので、母仲間として付き合ってきた。そうした付き合いでも、無くなると思えばさびしいもの。 

 午後、息子1は友達や後輩たちとグループラインで通話しながらゲームをすると言うのでオットと私は息子2のところへ行く。のどが痛いと言っていたのでのど飴の差し入れを持っていく。変わりなく元気そうで良かった。買物をして帰宅。

 夜、すき焼き。卒業祝いも込めて。ご近所さんからもらった大量の春菊の残り、無事完食。春菊ってすき焼きに特化してる気がする。甘辛い味付けにとても良く合うし、それが卵にもよく合う。またしても猛ファイトする。
 春菊はこの日にもらったもの。

 侵攻のこと、テレビでも失敗だったのではと言われ始めている。不思議な状況。失敗に見えることと、侵攻するならやっておくべき攻撃の達成とが混在している。ホロコーストの地であるキエフ近郊の谷、バビ・ヤールへの攻撃は、本当に現代人の価値観としてありえない。でも攻撃する側から見たら意思表示としてやっておくべき行為。東部の方を思い通りにするのは達成すべき目的の一つだろうけれど、そこに最大の目的は置かれていない感じがありありとするというか。今の状況と自分が侵攻している側ならどうするかと考えると、別の目的がうっすら透けて見えているように感じている。歴史ウォッチャーとしては、リアルタイムで例のないことを見せられていると思い、声なく呻きながら情報に当たるのみ。

 この侵攻に関わる国のことをnoteの記事に記述すると、記事の頭に注意喚起文が表示されるようになった。感染のことを書くと出るものと同じように。でも、それは書かれていることの精査もせず、ネット上にあるというだけで簡単に未確認情報を自力で調べもせずにまるっと信じてしまう人たちのために必要なことと理解している。でもなー。記事の見栄えが悪くなって不愉快極まりない。私は自分の見解を人に流布したいわけではなく、その日に考えた・思ったことをそのまま書きたいだけ。しばらくは地名などは避けて書くことにした。

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