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無関心の人が優しくみえるとき
こんにちは。
2月に入りましたね。
昨日バスに乗っていて、夕刻なのにまだ外が明るいことに気づきました。
これから日が伸びていくのかと思うと嬉しいです。
先日、このような記事を見つけ、とても興味深く読みました。
一般論として「他人に興味がない」というのはネガティブなイメージがあるかと思います。
他人に興味がない=自分にしか注目していない、自己中心的、のような感じでしょうか。どちらにしても「優しさ」にはあまり結びつきません。
私も、若かった頃「○○は、他人に興味がないでしょう?」と言われていました。
当時は、コンプレックスが強く、自意識過剰であったため、「他人への興味や好奇心」にある程度蓋をすることで、心の安定が保たれると思っていました。
さすがにこの歳で指摘されることはなくなりましたが、今でも大して変わりません。そして、自分が人に対して優しい、と感じたことは人生で1度もありません。
ただ唯一、気が付くと長々と誰かの話し相手になっていることがあります。
以下、記事の抜粋です。
他人に興味がない人は、自分と相手を同一視せず「別の人間」ときっぱり割り切るため、いちいち相手の行動に腹を立てたり干渉したりすることはありません。
それが「何をしても受け入れてくれる」といった意味で、「優しい人」だと捉えられることもありますが、「本当の優しさ」とは言えないでしょう。
なるほど、です。
「別の人間」というのは、私が普段から感じていることです。
わが子でさえも産み落とした瞬間に、自分とは違う別の生き物なんだな、と強く思いました。
旦那はさらにそうで、家族以外となると、よかれと思っても、めったなことでは干渉しません。
とは言え、他人に興味がないからこそ優しくできることもあるでしょう。
干渉が重荷になったり、良かれと思っての指摘が価値観の違いだったりすることも多く、疲弊した人にとっては「無関心ゆえの受容」が救いになるケースも珍しくありません。
やたらと他人に興味を持つ必要はないですが、本当に大切な人には関心を持ち、血を通わせたコミュニケーションを取れると良いかもしれませんね。
「無関心ゆえの受容」
唸りました・・これ。
INFJ-T型HSPである長女が
「無関心な人といるほうが楽なことがある」
と言っていたのを思い出しました。
彼女が描く世界は「平和」ですが、実際はそうではない世の中に疲弊し、深く傷を負うことがあります。
それでも鎧を着けずに外に出る(←ここがまさにINFJ)ので、浄化が追いつかないことも。
努力したって「みなが穏やかに過ごせる優しい世界」にたどり着けないのだとしたら・・・
「無関心の受容」を選びたくなる時もあるのかもしれません。
それにしてもこの記事は、無関心の人を責めるわけでもなく、さりげなく示唆するだけで優しいな、と感じました。
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