冷やし風呂【旅先ショート⑦】
今回の舞台は静岡県浜松市引佐町
俺は100m平泳ぎ決勝の舞台に駒を進めていた。
夢にまで見たオリンピックの舞台、俺は金メダル最有力候補として、世界記録更新が期待されていた。
俺の名前がアナウンスされると、ドッと会場が湧き上がる。
「世界新頼んだぞーー!」
「頑張れー」
「絶対金メダル取ってくれー」
何故だか、日本語の応援ばかりが聞こえてくる。こういう応援は、世界記録更新には必要不可欠だ。心強い味方がいっぱいいると思うと、力が湧いてくるし、いつも以上のパフォーマンスが出せる気がした。
続いて隣の選手アナウンスされる。俺の幼馴染、拓郎だ。拓郎は、プールに向かってお辞儀し、口パクで
「夢みたいだな」
と俺に笑いかけてきた。俺も口パクで
「そうだな」と返す。
拓郎の隣の選手がアナウンスされる。もう一人の幼馴染、修平だ。
修平は真面目だから、こっちは向かない。けど同じように夢を誓い合った仲だ。修平も、胸の内では喜んでいるに違いない。
「日本人で123フィニッシュだぁー!」
「幼馴染3人組ガンバレー!」
会場のボルテージは最高潮、プールに反射する会場の景色が、激しくうなりを上げていた。きっと日本は俺たちの話題で溢れている。これで俺たちは一躍有名人。小さな田舎の小学校から始まった物語のクライマックスだ。幼馴染3人がオリンピック決勝の舞台で泳ぐなんて、まさに夢物語。
そんな夢物語が、今、始まろうとしている。
全ての選手がアナウンスされた。2分後には全てが終わっている。なのに、この時間は永遠のように感じられた。
「位置について、よ~い、ドン!」
俺たちは、スタートの合図とともに飛び込んだ。
サバン!!
ハッ!!……ゲホゲホ……
少量の水を飲み込んでしまったみたいで目が覚めた。気持ちよくて、ついつい居眠りをしてしまった。
露天の冷やし風呂と聞いて入ってみると、ずっと浸かっていられる絶妙なお湯加減。水風呂以上ぬる湯未満の温度感で、夏にはぴったりの温泉だった。こんなだから、水泳の夢を見ていたのかもしれない。
目の前には森林が広がっている。一足早く黄色がかった葉っぱが、帰り際の太陽に照らされ、燦然と輝いていた。夏は長く残業してくれる太陽も、最近は徐々にサボり始めている。最後の一仕事と言ったところだ。
夕風に吹かれて、黄色い葉っぱが宝石みたいに揺れた。
いつの間にか見え隠れする秋の訪れに、俺は寂しさを感じた。
(もう、夏も終わりか……。)
木々に耳を傾ける。もう9月になるというのに、夏に間に合わなかった数匹のヒグラシが、寂しそうに音色を奏でている。途切れ途切れに、まだ夏は終わらないと言っているみたいだった。
(そうだよなぁ、夏、終わってほしくないよなぁ……。)
小学生の頃は、夏が永遠に続くものだと思っていた。
拓郎と修平、2人の幼馴染とともに、学校の開放プールでよく遊んでいた。当時は、オリンピックで平泳ぎの北島選手が大活躍をしていた時代。3人で、よく平泳ぎで遊んでいた覚えがある。
プールから上がれば、夢を語り合ってアイスを頬張った永遠の夏。
当時の俺は「水泳のオリンピック選手になる」なんて豪語していた。
宿題は減らないのに、夏休みのカレンダーだけはめくれていく。
永遠と言うのは意地悪な言葉だと思う。
永遠に続くような時間ほど、あっという間に終幕を迎えるのだから。
でも、良かった。
夏は俺にとって、まだ「永遠」だ。
何もない、ネクタイを締めるだけの夏だったけど。
今年も何度目かの夏が終わろうとしている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?