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終わらせる勇気~学生スポーツを例に~



時には終わらせる勇気が必要だ。


世の中は、続けることの称賛で溢れている。

「もう少し続ければ何かが変わるよ」

「あの時辞めなくてよかったです!!」

確かに続けることは正義だ。長い分だけ経験が積み重なるし、何よりも忍耐力がつく。続けることで困難を乗り越えた人間は、一般的に「偉い」「凄い」という言葉で括られる。

このように、続けることの美徳を説かれがちだが、辞めることが正義になる場合だってもちろんある。

「やりたいことがあるのに続けるのはおかしい。」

「自分のやりたいように生きるのが一番。」

続けるべきじゃないと主張する際に、このような文言を見かけることが多い。でも、これは甘い言葉で、私から言わせれば無責任だ。

今回は、学生スポーツを満期までやり切った筆者が、終わらせる勇気について書き起こす。

・継続していたことを、一区切りつけるか迷っている人
・進学・就職を機に、続けるべきか辞めるべきかを悩んでいる人


理由:適切なタイミングで着地しないと損をする


スポーツをする人間にとって、辞めるということは大きな選択だ。簡単には判断できないだろう。熱中していた分だけ、「スポーツをしている自分」というのは、アイデンティティとなる。加えて、自分の意見だけが判断基準とならないのが、学生スポーツの厄介な部分。

応援してくれた人の存在(両親、コーチ、監督、仲間など)

ここまで絡んできてしまっては、中々自分で辞め時を見つけるのは大変だ。じゃあ、一生続けるのかと言ったら難しい。

必ず辞める日はやってくる。それは大谷翔平でも同じこと。

この着地を失敗しないためには、適切な辞め時を見極めないといけない。中学卒業か、高校卒業か、大学卒業か、はたまたその期中なのか。人それぞれに「そのタイミング」があるのだ。だから、辞める勇気がいる。

本気で取り組んできた人なら分かるはずだ。この難しさが。

私はこの着地が、人生を分けると思っている。


無駄な引き延ばしは無意味


私の事例を紹介する。

私の周りには、進学先で何となく続ける人が多かった。

「推薦がもらえたから」

「辞めたいけどこれしかないし」

辞めたいという意思があるのに、行動に移さないことが疑問だった。そういう人たちは、推薦を貰って進学しても、大抵一番下のカテゴリーでくすぶっている。退部したり退学したりする人も多い。

私は、無駄な引き延ばしは、堕落を招くだけなのだと理解した。
岐路に立った時は、自分の心のままに道を選ぼうと思っていた。

なのに

いざ自分が辞めようとした時、中々それができなかった。本気で取り組んできたスポーツは、既にアイデンティティとなっていた。手放す怖さが私を支配していた。

完璧な着地点だと分かっていた。この先の人生には悪影響しかないと思って、辞める以外の選択肢を放棄していたにも関わらずだ。

結果、1週間以上かけて「それ」を手放して今の生活がある。

本気で取り組んだことを手放すのは至難の業だ

それぐらい難しいことであるのを伝えたかった。これはスポーツじゃなくても同じことだろう。


辞め時の見つけ方


「終わらせる勇気を持つためには目標がいる」

一番大事なのは、目標の存在だ。目標というのは、頑張る指標だけじゃなくて、辞め時の指標としても大事な要素。

目標がある限りは続けるべきだ。目標を達成したと思えば、その後も続ける必要はない。新たな目標が芽生えれば継続すればいい。自分の中で目標が空になった時点が、新しい道の始まりになる。

言い換えれば、

目標がないなら、辞め時を見失う。

目標がない活動は本質的に無意味なもの。

私は明確な目標を達成したからこそ、辞めることができたと思っている。

本気で何かに取り組んできた人が、いつか来るその日に最善の道を選べますように。

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