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マリオンヴァン・ランテルゲム著「アンゲラ・メルケル:東ドイツの物理学者がヨーロッパの母になるまで」東京書籍

Tschüss(バイバイ) アンゲラ・メルケル! ドイツの政界に降り立ったUFOが、16年間の首相の任期を終え去っていくまで

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「アンゲラ・メルケルがいなくなれば寂しくなるだろう」

著者であるマリオンヴァン・ランテルゲムは著書の中で、これでもかというくらいに何度も、この文言を繰り返し書いている。

「アンゲラ・メルケルは去っていく。ライトブルーの瞳、口元に厳めしい二本の皺が刻まれた、あのいつもの顔が画面に登場することはもうなくなる」

それが、著者には寂しくて仕方ない。「メルケルが退任したら私たちは不安になる。私たちは支えを失う。堤防が決壊する」とまで書いている。

著者のマリオンはフランス人の女性だ。1964年パリ生まれのジャーナリストであり、この評伝は2017年に書いた『アンゲラ・メルケル 政権に降り立ったUFO』を元に大幅に改訂し、新型コロナウイルス感染拡大という政治家としての最後の大試練に立ち向かうメルケルの姿を書き足している。手法は、メルケルに関わるひとたちのインタビューをまとめて書き綴る構成だ。

この評伝に一貫して流れているのは、著者のメルケルへの愛情だ。なぜ、これほどまでに政治家であるメルケルに惹かれているのだろうか。メルケル首相の半生ももちろん気になるが、わたしは、このフランス人の著者についても気になってしまった。

現役の政治家の評伝は、ほとんど読んだことがない。読んだことはないけれど、こんなにエモいタッチの政治家の評伝はあまりないのではないかと思う。もっとも、エモいゆえに、口当たりはよく、読みやすいのも確か。

「これほど私の人生に関わってきた人物もいないのだ。アンゲラ・メルケルはそれほど私の心をとらえ、興味をそそり、魅了した。つまるところ執着と言ってもいいかも知れない」などとも書かれていて、著者の熱量は半端ない。

著者の視点をガイドとしながらも、一歩下がって見るクールさも担保しつつ、注意深く、でも面白く、メルケルという稀有な政治家の物語を読んだ。

個人的に興味深く感じたところは、やはりジェンダー的な部分だろうか。メルケルは、女性で東ドイツ出身。プロテスタントで離婚経験者であり、子どもはいない。仲間も社会的に恵まれた層ではない。これは、定員のほとんどがエリートの男性党員である西ドイツCDU(キリスト民主同盟)ではかなりのハンデであった。

しかし、「アンゲラは見下され、軽んじられた。それが彼女の強みだった」と著者が言うように、このマイナス札はやがてひっくり返り、ドイツ初の女性首相の誕生へとつながっていく。まさに得体の知れないUFOのような存在。ドラマチックだ。

「お嬢ちゃん」「ガールズキャンプ」「ムッティ=お母さん」と、揶揄されても負けずにやり過ごす力があり、機を見ることに長けた策士でもあるメルケルは、ドイツ統一の功労者ヘルムート・コール首相を引きずり下ろすことを皮切りに、頭角を現す。

メルケルは、女性の嫉妬や男性の所有欲をあおらない。敵対関係のない権威、カリスマ性のない魅力があると著者は語っている。きっとこういう淡々とじっくり進むタイプが、最後は強いのかも知れない。

メルケルの人格を決定づけた要素は東ドイツで過ごした人生の前半にあると著者は推測する。西ドイツに生まれたが、牧師である父とともに東ドイツに渡る。1961年8月13日、7歳のときベルリンの壁が建設された。ベルリンの壁が壊されたのは、35歳のときだった。

障がいのある子たちと日常的に接しながら暮らした経験も大きい。目立たないこと、折り合いをつけること、慎重さを身に着けることの基盤は東ドイツで作られた。

女性政治家は、まずどんな髪型かどんな服かを見られるので、話し出して10分経ってからじゃないと話を聞いてもらえない、とメルケルは嘆いている。これは、どの国でも同じかも知れない。日本の女性の組長も、服装や身につけるマスクに目がいってしまうし、話題になる。

メルケルは、服装があか抜けないとよく言われる。本人もそれは自覚しているが、自分は政治家であり、モデルではないからと世論には媚びない。手入れしやすい髪型、短めのジャケット。ジャケットは、同じデザインのものをいろいろな色で数十着購入し、パンタロンにあわせる組み合わせをパターン化もしている。
これは、いつも同じ服を着ているスティーブ・ジョブズのように、服装を選ぶ時間を節約する発想と同じようだ。いつも大きな決断を迫られる人物は、日常の小さな決断には力を注がない。

そんな身なりに構わないメルケルであるが、彼女はポップなアイコンでもある。
両手の親指の先を合わせ、他の四本の指も同じようにそろえ、手でひし形を作ったポーズがメルケルの癖となると、「ひし形」ポーズは彼女のトレードマークになり、マグカップやTシャツなどのグッズのシンボルとして使われた。実際にネットで色々な商品を見てみたが、ひし形のポーズをとったパンツスーツのメルケル人形はかわいい。

アメリカのフォーブズ誌の「世界でもっとも影響力のある女性」にも何度も選ばれている。メルケルは注目される女性なのである。

もっともメルケル首相のドイツの移民問題や原子力発電所の廃止、フェミニズムの話などは、語る人が違えば、評価も違ってくる。八方美人ではっきりしないところもあるメルケルを悪く言うひとも多い。
けれど、著者は、「アンゲル・メルケルほど、長期にわたり民主的で透明性のある手法でひとつの大国を率いたことを誇れる人物はいない」と絶賛する。

支持率70%を切らなかった、ドイツ初の女性の首相は、何年先にも語り継がれる歴史的な人物であることは間違いない。

この本の最後の章「Tschüss(バイバイ) アンゲラ・メルケル!」は、一番の読みどころだ。なぜなら、著者マリオンが、大好きなメルケルと対面し、言葉を交わすシーンが描かれているからだ。
ネタバレをすれば、マリオンはメルケルから冷たい対応をされるのだが、その対応もまたメルケルらしいとマリオンは健気にも思う。メルケルの映画も今後企画しているようなので、まだまだマリオンのメルケルへの愛は続くのだろう。

これほどまでに、惚れこむ政治家がいることは、羨ましい。わたしもいつか「推し」と呼べるくらいの政治家と巡り遭いたい。そんな日本の政治家の誕生を待ち望んでいる。
また、この本を読んだことで、メルケルの去った後のドイツの政治が気になってしかたなくなった。果たして、新しいドイツの首相はどのような人物なのだろうか。ドイツはどのように変わっていくのだろうか。

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