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【archive】2019.3 Stars in Blue Ballet&Music

*2019.3 日仏協会会報に寄稿した記事です*


3月上旬、春のうららかな風がふくころ、
バレエを、いや芸術を心から愛する人々のために、特別な舞台が用意された。

世界最高峰と名高いパリ・オペラ座の頂点に長きに渡り君臨したバレエ界のレジェンド "マニュエル・ルグリ"と、彼が呼び寄せた著名なダンサーたち、そして日本人の気鋭演奏家たちとのダンスコンサートだ。

場所は東京芸術劇場。
青空が一面に広がるガラス張りの吹き抜けるを通ると、荘厳なパイプオルガンが印象的なコンサートホールが現れる。

バレエの舞台といえば、豪華な舞台セット、客席との高低差、オーケストラピットによって、現実世界と切り離され、
人は神々しいその雰囲気に酔いしれる。

しかし、わたしはホールの扉を開き、明らかにいつもとは違う雰囲気に驚いた。
舞台にはグランドピアノが一つあるだけ、そして舞台が目の高さより低く、客席と舞台の近さはわずか数十センチ…
数分後には、驚くほど近さで、ルグリや、今をときめくダンサーたちが目の前に現れる。
客席にいた誰もが胸を高鳴らさせていただろう。


その静かな熱気を包み込むように、田村響によるラフマニノフの「ソナタ」で幕が開いた。
寄り添うように、舞台袖から現れたのは、今回初共演となるシルヴィア・アッツォー二(ハンブルク・バレエ団 プリンシパル)と、セミョーン・チュージン(ロシアボリショイ・バレエ団 プリンシパル)。
この作品にはストーリーはなく、切なくも、豊潤なラフマニノフの旋律を、抽象的な愛のパドドゥに仕立てた作品である。
ストーリーがないにも関わらず、二人が舞台に現れて間もなく、自然と涙が溢れ出てきた・・・
全身からほとばしるような輝きを放つアッツォー二をみていると、不思議と全身の力が抜けていき、音楽に溶け込んでいくようなそんな感覚に陥いった。
二人の一挙手一投足すべてが美しく、それが台詞となって観るものを、惹きつける。
「魂は細部に宿る」とはこのことだろう。
二人の瑞々しいダンスは、バレエの魅力を存分に伝えてくれた。


そんな柔らかな印象と対照的に、観るものに強烈なインパクトを与えたのが、「瀕死の白鳥」だ。
名だたる伝説のバレリーナたちが踊ってきたこの作品を踊るのは、ボリショイ・バレエの若きプリンシパル オルガ・スミルノワ、そして演奏はこちらも日本が世界に誇る若きヴァイオリニスト三浦文彰だ。
この作品の醍醐味は、バレリーナの人生や、生き様を、静かに死にゆく白鳥の儚さに投影すること。
しかし、スミルノワは、それと一線を画する、圧倒的リアリズムでもって魅せたのだ。
長い手腕は、荒々しくも繊細に羽ばたく羽と化し、彼女の肉体に一羽の白鳥が憑依しているかのよう。
迫り来る死に立ち向かう、生命力に満ちた白鳥そのものだった。
伝説的なバレリーナが踊り継いできたこの作品を、決して背伸びすることなく、されどこちらの想像をはるかにこえる表現力で演じきったのは圧巻である。
三浦文彰の深く繊細な旋律と、スミルノワの迫真の舞いにしばらくその余韻が会場を埋め尽くた。
若くしてトップに上り詰めた二人だからこそ、作り上げられた空間かもしれない。


そして、今回の公演のメイン演目であり、世界初演の「OCHIBA」
ルグリがスミルノワとの共演を熱望し、本公演のために振り付けられたこの作品は、日本と西洋を舞台に交わることのない静かな愛をテーマにした10分ほほどの作品である。

〜あらすじ〜
*物語の舞台は19世紀。美しい絹を紡ぐための蚕の卵を母国に持ち帰るために、ひとりのフランス人が日本に到着する。出会った武将の膝下に横たわる若い女性に、彼は恋をしてしまう。彼は何度も旅を繰り返すものの、ふたりは言葉を交わすこともなく、触れあうこともなく、感情の交換もなく……。


薄い絹の衣装をまとったスミルノワが舞台下手(しもて)に膝を揃えて横たわり、そして紳士ルグリが舞台上手(かみて)にゆっくりと現れる。
ルグリ扮する紳士は内なる情熱を閉じ込めるように、スミルノワ扮する東洋の美女は、そんな想いを寄せる男性がいることなど知らない、いやむしろ実体のない幻のように、二人は趣の異なるダンスをゆっくりと踊る。
少しづつ二人は近づき、静かなパドドゥが始まるが、決して二人の目線があうことはなく、美女は紳士の腕を空気の如くすり抜けていく。
音楽には現代音楽の父とも評されるフィリップ・グラスの曲が用いられ、一定のフレーズが尽きることのない流れのように繰り返し反芻される。何度も近づくが決して先に進むことはないこの沈黙の愛と見事に重なる。
超絶技巧も、ダイナミックな表現もないが、ルグリが腕を伸ばした先、視線の先に確かに物語がある。
40年のキャリアが生む、成熟の舞は、誰がどうあがいても手に入れることができない。
身体の極限までバレエの美学を追求し、到達した境地は、開放的で挑戦的な場所なのかもしれない。
ルグリは自らがつくるこの心地よい空間を、噛みしめるように踊っていた。

カーテンコールは、未だかつて見たことがないほどの観客総立ちのスタンディングオベーションで、レベランスをするたびに歓喜の声が響き、拍手が鳴り止まなかった。
すべての垣根を越え、互いの興奮を共有しあう、そんな一体感に包まれた。

豪華な舞台セットや衣装は一つもないが、おそらく客席にいた誰もが、今まで感じたことのないような充足感を感じていただろう。
日本を代表する音楽家と、世界のトップダンサーと、そしてルグリが、バレエを心から愛する人のために開いた、ごくごくプライベートなパーティに居合わせているような、そんな至福のひと時だった。

ルグリは来年2020年に10年務めたウィーン国立歌劇場バレエ団芸術監督の座を退く。
次はどんなステージが彼を待っているのか、様々な憶測が飛び交っているが、
きっと、次なるキャリアもルグリらしく軽やかに、しなやかに駆け抜けていくのだろう。

そんなルグリが、また日本に帰ってきてくれることを願い、この心温まる舞台のレビューを終えたいと思う。

Bravo Manuel !!! Et merci pour tout ce bonheur….  
(ブラボー ルグリ! 素晴らしいひと時をありがとう)

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