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あかね噺-第95席・久しぶり-感想

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セクシー田中さんの話。個人的には自死を選んだ原作者が、何を悩み自死を選んだのか?という事を無視して騒動が大きくなってる気がする。
自分の原作が改変されたからなのか?騒ぎが思いかけず大きくなってしまったからなのか?いろんな悩みが重なって精神的に弱くなってしまったからなのか?いろんな可能性があり、軽々に誰が悪いというのは違うんじゃないかと思うし、背負わせるのは酷すぎると感じる。
自分の仕事はジャンルは違えど物を作る仕事なので、脚本家側の人間に同情する部分があるからこう思うのかもしれない。
経験として、こういう仕事で悪意を持って仕事に取り組む人はいない。それぞれが自分の手の届く範囲でのベストを尽くしている。
それでも意見の食い違いというのは存在して、そこをすり合わせながら進むものだ。その時に原作者の意見を絶対に聞けというのは、暴論すぎると思う。

今期のドラマで「アイドル失格」は、原作から大きく改変されているけど、原作を知ってるものからしても、上手に改変したなと感心するドラマに仕上がってると思う。
孤独のグルメも原作とは全く違うドラマだけど、すごく面白いし、原作の久住さんもきちんとした見返りがあると思う。
モンキー・パンチさんは、宮崎駿さんのルパンは気に入らないと公言しており、自身が納得するルパンのアニメを作ると「ルパン三世 DEAD OR ALIVE」を作ったが評価は芳しくなかった。
宮崎のルパンが無ければ、今日のルパン三世の人気はなかったが、これは原作者としては喜ぶべきなのか悲しむべきなのか、宮崎駿が悪いのか?とも言える。

今騒いでる人達は、ドラマ版「セクシー田中さん」と漫画版「セクシー田中さん」を読んでる人はどれぐらいいるのだろうか?
外野が騒いで良いことは一つもない、今は静かに「セクシー田中さん」をキンドルでポチって冥福を祈りながら読むのが良いと思う。

前書きが長くなりすぎたけど感想行きます。

◆あらすじ


週刊少年ジャンプ 2024年1月29日発売 9号

朝がおのお披露目は、人間国宝が来るなど注目度がうかがえる中、泰全から少し遅れるとの知らせが入る。あかねの高座を見ないと選んだ事に憤るちょう朝。
公園で一人悩む泰全の元へ志ん太が訪れる。

◆感想


あかね世代の話は、いい感じのポップさがあって良いんですけど、志ん太世代はいい感じのねちっこさがあって良いですね。
今回は、ずるい大人・志ん太は死んだ、について書いていきます。

ずるい大人
見た瞬間その手があったかと思ってしまいました。遅刻してあかねの高座を見れなかったとなれば、全生もちょう朝の顔も潰さなくてすむという大人のずるさを感じました。
もちろんちょう朝は怒るでしょうが、遅刻と言い張れば、それ以上の追求はできません。ちょう朝もクソアフロの影響と理解できるだけに納得するしか無いと感じます。

あかねの落語を見て、四天王の泰全から見れば足らざるところは無数にあると思います。それを指摘し不合格とすることも出来るはずです。
しかし、それではちょう朝の勝負に負けてしまいます。
今回の披露目で、ちょう朝が泰全に仕掛けた勝負は、お互いの落語の出来と、あかねの見極めです。
ちょう朝から「俺は、こいつに二つ目の実力があると思うが、お前はどう思う」と問いかけられています。
コレに対して、実力があると答えられるなら、ちょう朝と同じレベルの見る目があるとなりますし、実力がないと判断し、ちょう朝を納得させる理由が述べれるのなら、ちょう朝よりも見る目があるとなります。
理由を納得させれないのなら、ちょう朝との勝負に負けになります。

泰全はこの勝負をしっかりやれる事が、怒髪天と呼ばれ、他人にも自分にも厳しい、ちょう朝が見てられないと思う泰全から脱却できるきっかけになると考えているように感じます。
しかし実際は、遅刻を選ぶようにずるい手段に逃げさせられてるわけで、ちょう朝の勝負に水が入った形となりクソアフロとなるわけです。
志ん太が間を取り持つことで成立していたように感じる”朝志隊”ですが、ちょう朝には3人の絆があるように感じました。と本人の口からはっきりと

志ん太は死んだ
苦悩する泰全の元に志ん太がやってきました。そこで阿良川志ん太は死んだと本人の口からはっきりと宣言しました。
変り目の時に、志ん太が改めて落語の世界に戻る可能性もあるのかな?と思いましたが、徹は落語家への想いは整理されているようですね。
徹の中で志ん太に対しての気持ちがここまでしっかりと整理されているなら、泰全を救う事が出来る気がします。

で、いまさら気付いたんですが、”志ん太”って名前は”死んだ”から来ているのかな?
というのも”談志が死んだ”っていう回文があって、生前から談志が自分が死んだときに新聞の見出しにこの回文が載ると笑ってて、「談志が死んだ」という本も出版しています。
本の内容は、自身が死んだ後の立川流がどうなるか?とか弟子への批評がメインの本なので、あかね噺にはあんまり関係が無いですけど、志ん太が死んだと談志が死んだに近しい物を感じたので、名前の遊びが入っているのかなと思いました。
この前の”ぐりこ”の三歩ずつなんかも、当初からこの意味を考えて名前を付けていたのなら、作者が意地悪すぎるだろと思ってたんですけど、志ん太が死ぬから”死んだ”から”志ん太”と名付けたのも、同様に意地悪すぎる気がします。


そろそろ2周年で、連載が浅い漫画から、長期連載を見る漫画に昇格したと思うのですが、そのせいか最近の掲載順が下がってきてる気がします。
内容は安定しているんですけど、このシリーズに入ってから博打の所の例えが決まってない感じや、今号にもあった誤植など、ちょtt不安な要素も増えてきている感じがします。
話的には、志ん太が出てきて物語の核心部分が披露され始め盛り上がる局面を迎えているのに、人気が下がっているのなら由々しき事態な気もします。
新連載勢の内容が良くて、あかね噺以降、これと言って行けそうな連載が少なかった中、キルアオ・鵺の陰陽師みたいに、あかね噺と同等の人気のある漫画も入ってきました。
ジャンプっぽく無い題材である事で、看板になるのは難しい漫画だと思うのですけど、内容的には看板クラスの面白さだと思っているので、2周年の節目で盛り上がって行って欲しいと思います。
感想はここまで、でわでわー。

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