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あかね噺-第92席・十八番-感想

<第91席感想・感想リンク・第94席感想>

2023年最後のnoteです。
今年も色んな事がありました。あんまりいい年じゃなかった印象だったけど、田舎に引っ越したことで、少し生活が楽になったのは良かったかな。
このnoteも今年はほぼ毎週更新できたかな?
今年のあかね噺は、可楽杯明けに停滞してる感じがしたけど、変わり目編が素晴らしくて、この漫画に関してはあんまり心配しなくてもいいんだろうなと思いました。
もうすぐ2周年が来ますので、人気投票やアニメ化みたいなニュースが欲しいですねって事で、感想に行きます。

◆あらすじ


週刊少年ジャンプ 2023年12月25日発売 4・5合併号 

あかねは、ちょう朝から「狸賽」を教わる。あかねの仁にあった噺で十八番になると教えられるが、上げの稽古ではちょう朝から真面目すぎるとダメ出しをされる。

◆感想


あかねの次の課題を提示する噺でした。ここからあかねがどうやって課題を克服していくか楽しみですね。
今回は、良い人ばっかじゃ無かった・新たな課題 について書いていきます。

良い人ばっかじゃ無かった
この感想noteで、何かを書くとそれを覆す展開が来るというのがよくあるんですが、前回、良い人ばっかりだと書いた瞬間にすごい嫌な人が出てきました。四天王の中で、最も落語家っぽいから好きだった全生が、こんな嫌なやつとは思わなかった。ここまでもちょいちょい小物っぽさを出してたんですけどね。

今回明らかになった阿良川の系譜図を見ると、全生は一生の弟子では無く、弟弟子。一生の弟子だと思っていたので、一生の機嫌を取るのに、調子を合わせて志ぐま嫌いを吹聴しているのかなと思っていたのですが、志ぐまに対しての関係が一生に近い事から、全生の志ぐま嫌いは一生と同質のものかもしれません。

全生が嫌な奴だとは思いますが、一剣や泰全は師匠が志ぐまを嫌っているのに、彼らには志ぐまに対して特別な関係は無いように見えるので、彼らが入門する前に原因があると考えられます。
志ぐまは、名跡である「志ぐま」の名前を継いだ事で一生に嫌われていると考えていましたが、単純にそれだけでは無い気がしてきました。
名前を継ぐ過程で志ぐまが、何か兄弟弟子を裏切ったのか裏切られたと感じさせる事があったんじゃないかと思います。

系譜図のついでですが、この系譜図に亨二がいません。この前のジャンプフェスタでの兄弟子たちの名前についての質問があったのですが、その時もやんわりと亨二については触れませんでした。三禄との電話での亨一という呼び方など、初めから志ぐまの弟子では無かったのは確定かな。
以前も考察に書いたけど、志ん太が破門になった時に、他の師匠で引き取っても良いと言ってくれている師匠が居るという話が合った事から、亨二はその逆で、三禄の弟子を破門になって志ぐまが引き取ったと予想します。

師匠のいう事は絶対といわれる落語界ですが、ダメなものはダメと言えるかどうかも大事なことです。泰全には、師匠から教えを受け学ぶ事、聞くべき事と、聞かなくていい事の境目は難しいでしょうけど、あかねの落語をどう感じるかも楽しみですね。

新たな課題
あかねは、自身に向いた話で今後の十八番となりえる「狸賽」を教わります。「狸賽」はジャンプ読者ならジョジョの第4部で出てきた支倉未起隆の話と似ている噺で、この噺が、支倉未起隆の話の元ネタだと思います。

いつものように噺に向き合い稽古しますが、ちょう朝に見せた所、評価はいま一つ。
それは落語についてまじめすぎるという物でした。これは読者にとっても納得なんじゃないでしょうか。あかねはギャルっぽい見た目や性格がチンピラなのに、落語に関しては、技術の高さと取り組む姿勢の真摯さがあり優等生ではあります。

今回も狸の了見を探るために動物園にいったり、サイコロを具現化しようとしてたり、大真面目に噺に向き合っています。
しかし、いくら動物園の狸を見てもサイコロに化ける狸はいませんし、恩返しをしに来る子狸の了見を知ることはできないでしょう。

桂米朝は、弟子に対して「愛宕山」を教えるときに、この噺をする上で愛宕山へは行くなと教えたそうです。
それは、実際の愛宕山と「愛宕山」にでてくる愛宕山は全然違って、実際に見てしまうと嘘だらけで出来なくなってしまうから、モノにした後に見に行くのは良いけど、見ない方が噺はやりやすいと言っていました。
落語の噺はよく出来ているけど、適当なところや嘘は沢山あって、あんまりまじめに考えすぎるのも違うという話でした。

しかし、真面目にやるなと言われても、適当にやるのも違うし、わざとふざけるとかえってあざとさや違和感を感じて逆に笑えなくなるものです。
志ぐま師匠の言う「ふざけるときも真面目にやれ」というのが正解ではあると思うのですが、言われて簡単にできれば苦労は無い。
亨二は真面目すぎる故に、真面目さを突き抜けて逆にボケになるところまで真面目を貫くわけですけど、あかねはこのアプローチとは違います。
簡単なようで難しい問題で、どう乗り越えるか楽しみですね。

あかねが真面目なのは、急いでいるからなんですよね。早くおっ父の仇を取りたい、早く二つ目になりたい、評価されたい、真正面から一生に対峙したい、そういう気持ちが効率を求めて真面目さに繋がっていると感じます。
よーは人の目は気にせず、いったん自分の好きにやるみたいな事が、後々にその人の面白さになっていくのが良いと思うんですけどね。

例えば、ハリウッドザコシショウは、20代だったG★MENS時代から知ってて昔からあんな感じで、相方も同じ芸風で暴れまくってて、あの当時の10代の女性ばっかりだった若手の劇場では全く刺さらず滑りまくってたけど全く気にしてなかったです。長い時間をかけてあの芸風を貫いたからこそ今の破壊力がある訳で、評価されたいとか早く売れたいみたいな感じでは、あんな芸人は生まれない訳です。
あかねがハリウッドザコシショウになる必要はないけど、あーいう面白さは身に着けられないようには感じます。

あと真面目すぎるに関しては納得と同時に、この漫画あかね噺自体にも同様の問題がある気はします。
話の筋や展開の丁寧さ落語の取上げ方など、本当に真面目で隙が無い。
面白いんだけど、もっと遊びが欲しいという思いは連載当初からありました。
最近は兄弟子達や脇のキャラなんかに視点を変えたりして、世界を立体化していていいと感じるのですが、まだまだはじけない感じはします。
良い意味での破天荒さみたいな物が欲しいというのは、贅沢だと思うのですが、あかねの成長と共に、あかね噺の課題とも重なって感じるだけに、あかね噺自体もどうなっていくのかも期待です。


次回は、新年一発目という事で、あかね噺の年表を作ってみたいと思います。そのなかで何か気付くことがあるかもって事で今年はここまで。
さぁ大掃除するぞ。でわでわ。




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