サントリーニ-1005

「卒業」を前に。

学生という枠になんとなくはまって手に入れた自由を片手に、いろんなところへ行った。
どんな未来もこの手でつかむんだ!!なんてクサいバンドみたいな夢をみた。
1秒先に、0.5秒先にやってくる”未来”ってものをあんまり頭で考えずに、いつも自分の外にあるみたいに、夢という言葉に逃げたりしながら。
あの灼熱のフロリダから帰ってきて1年間、正直辛かった。
自分はこの社会のどんな枠にもはまれないんじゃないか、誰かに求められることを望んでいないのだろうか、そういう問いに押しつぶされそうになった。

今もその辛さと悩みを抱えながら、”前から約束していたから”という理由で、中途半端な気持ちで「卒業旅行」と題した仲間との旅にでた。

トルコを3日間旅して、昨日、ギリシャのサントリーニ島に降り立った。

1500円でたった36枚しか撮れないKodakポートラのフィルムを初めてコンタックスにはめて、
サントリーニ島の真っ白な建物の連なりと、海岸線の曲線美を枠いっぱいに収めようとして単焦点レンズから広角レンズに付け替えて、
あつい雲に見え隠れする太陽の光をせがんで、猫を追いかけ、仲間を撮る。

これでもかと撮った写真の枚数は455枚とフィルムが4本。500回もシャッターを切ったんだ。
ビデオでもまわせばいいじゃんか、と思うほどに切り取って切り取って、もうなににも、誰の記憶にも収まらないぐらい切り取って、、、

そうして夢中になって切り取っているのがやっぱり一番、生きている気がした。
もっと夢中になりたいと思って、ずっと生きてきた。
もっとこうしたらいいかな?こうかな?こうかな?ってしている時間がすごく愛おしい。

限りなく広がる眼の前の衝撃的な「動」を、絵にして「静」の時間として振り返ったり表現したりする、それが写真を好きな理由のひとつだと思った。
だから、文章でも動画でもなく、写真だと思う。

夕方になって灰色の雨雲がやってきて冷たい風が吹き、白と青の世界には冷たい雨が降った。
そうしているうちに陽が落ちてきて、雨がザバザバ降った。
お土産屋さんで雨宿りしたら、陽が落ち、どんよりした空にはうっすら虹がかかった。
「まるで〜のようだね」って、そこに「映画」とか「ドラマ」とかいれたらもったいないような本当の話だ。

変わりやすい天気が自分の刹那的な感情と合わさり、相まって、バッと五感がひらく。
この世界を見るのにどれだけ心が、感覚と神経があれば足りるだろうか。

大学を卒業してこれから、自由という言葉に苦しめられると思う。
あと何ヶ月かで学生という枠から外れてしまって自分というちっぽけな人間も「社会人」という名前の枠にもはめられる。

もういいや、どーにでもなる、どーにかなるという諦めに近い言葉がでてきては、
それでももっと、こんなことをあんなことをしてみたい、と求めてしまう欲張りな自分がいやになったりする。

だから、だからこそ、どーにでもなる人生もめちゃくちゃに生きてやろうバカ野郎。


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