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イザ・ゲンツケン 《75/75》

新ナショナルギャラリーでは、今年75歳になるイザ・ゲンツケンの作品を75点展示する《75/75》展が開催されており、キャリア初期から近年までの作品を時間軸に沿ってたどることのできる構成になっている。

ユニタリー・フォーム

ゲンツケンは1973年から1977年までデュッセルドルフ芸術アカデミーで学んでいるが、すでにこの頃から当時隆盛であったアメリカのミニマル・アートに大きな影響を受けていた。そして1976〜1982年にかけて制作された《楕円体》と《双曲面》と名付けられたシリーズでその名を知られるようになる(Fig. 1)。

Fig. 1:イザ・ゲンツケン《赤の楕円体》1977年;《赤・灰の開かれた楕円体》1978年;《灰・黒の双曲面 MBB》1981年;《青・灰・黄の双曲面 ELBE》1981年(左から右)

《楕円体》と《双曲面》は、ともに長さが6~12メートルにおよぶ細長い木の彫刻である。《楕円体》は中央に向かってふくらんでおり、そのふくらんだ中心一点で地面に接している。それと対をなす《双曲面》は、中心に向かって内側へとへこんだ円柱であり、両端の二点で地面に接している。

ミニマル・アートの代表的作家であるロバート・モリスは、1966年のエッセイ『彫刻についての覚書』において、まとまりをもった全体像として知覚されるユニタリー・フォーム(統一的形態)を提唱する。ユニタリー・フォーム、つまり立方体や四角錐といったシンプルな多面体を作品に用いれば、鑑賞者が周りを移動しなくても全体が感覚として経験されうる。実際には全体の一部しか見えていないとしても、形状に規則性があれば全体を知覚することが可能になるというものだ。

ロバート・モリス『彫刻についての覚書』(Robert Morris: Notes on Sculpture)所収 ↓

ゲンツケンの《楕円体》と《双曲面》でも同じことがいえる。精密に作り込まれた細部を見るにために近づいてしゃがみ込むと、その長さゆえ全体を見渡すことはできなくなる。しかし形態の幾何学的な規則により鑑賞者は絶えず全体を把握している。とはいうものの、ゲンツケンの彫刻は切り込みが入れられて切り取られた部分がずらされていたり、内部がくり抜かれて彩色されていたりするなど、個体によって差異があり、モリスが目指したような純粋で自律した形態とは本質が異なっているようにも見える。

またゲンツケン自身も、鑑賞者の中にボート・槍・爪楊枝などの連想が生まれることを望み、こういった「内容」が彫刻に持ち込まれることを最初から意図していたと語っている(Ref. 1)。このような「連想」の側面は当時、いわゆる正統派のミニアル・アートとは無縁であった。つまりゲンツケンは、ミニマル・アートの文脈の中で作品を制作しながらも、そこからの逸脱を意図的に操作してたことになる。

アントロポモルフィズム

1994年から2003年にかけて制作された《柱》シリーズは、地面から直接、垂直に立ち上がる柱のかたちをした作品群である(Fig. 2)。

Fig. 2:イザ・ゲンツケン《ダン》1999年(左);《アンナ》1998年(右)

《柱》はその間を歩きながら鑑賞できるように配置されており、表面には鏡・ホログラムシート・カラーテープ・アルミニウムのパンチングプレートなど、ホームセンターで簡単に手に入れることのできる素材が施されている。これらの《柱》は高層ビルのようでもあり、また一方ではタイトルに「ダン」や「アンナ」といった人名が付けられていることから、鑑賞者の身体と呼応するような柱のサイズや距離感、そして鑑賞者が映り込む鏡面ともあいまって、他人と対峙しているような感覚を起こさせもする。このように何らかの事象に人間の形態を見出すことを、アントロポモルフィズム(擬人観)と呼ぶ。

Fig. 3:ロバート・モリス《立つための箱》1961年(左)
Fig. 4:ロバート・モリス《2本の柱》1961年(右)

美術批評家マイケル・フリードは、1967年の論考『芸術と客体性』において、ミニマル・アートの作家ロバート・モリスやドナルド・ジャッドらの彫刻が擬人的であり、それゆえにまるで「沈黙した別の人間がそこに現前」しているかのようであると論じ、ミニマリズムの彫刻のシアトリカル(演劇的)な性質を問題視した。この論考はミニマル・アートへの批判であったにも関わらず、本質をあまりにも的確に捉えていたため、その後のインスタレーションの発展とともにポジティブに受容されていくことになる。

マイケル・フリード『芸術と客体性』 はこちらに所収 ↓

ゲンツケンの作品における擬人性は、《柱》シリーズでは抽象のレベルに留まっていたにもかかわらず、2007年以降の《俳優》シリーズにおいてはそのまま「人形」に置き換えられることになる(Fig. 5)。頭と顔を覆われ沈黙してそこに立つ等身大のマネキン人形は、「擬人観」と「演劇性」の概念を字義どおりに具現化させたかのようだ。

Fig. 5:イザ・ゲンツケン《俳優》2013年

しかしながら、《柱》および《俳優》の作品群は、けっしてフリードが言う「非凡な演出がなされた舞台装置」のなかへ観る者を巻き込み「ある種の高揚感を体験」させるインスタレーション的な演劇性を持ちあわせてはいない。作品に鑑賞者を取り込むというよりは、その表層の奇異さで鑑賞者を突き放す。そう考えるとゲンツケンの柱やマネキンたちは「擬人観」や「演劇的」といったアートの権威による論争を曲解し、茶化しているように思えてくる。

客体と概念

1985年からゲンツケンは《世界受信機》を制作し始める。このシリーズでは型取りしたコンクリートの塊にアンテナを差し込み、それをラジオに見立てている。

Fig. 6:イザ・ゲンツケン《世界受信機》1988〜1989年

コンクリート製のブロックは、ブルース・ナウマンによる《コンクリート・テープレコーダー・ピース》を思わせる。ミニマル・アートの発展形として見ることもできるこの作品では、コンクリートブロックは床に置かれ、コードで内部に電気が送られている。コンクリートの中にはテープレコーダーが埋め込まれているらしいが、鑑賞者がその再生音を聞くことはできない。

Fig. 7:ブルース・ナウマン《コンクリート・テープレコーダー・ピース》1968年

他方、ゲンツケンのコンクリートブロックには何も含まれていない。しかし何らかの物体に記号(ここではアンテナと電気コード)を付加することで、受け手側に想像力の発動をうながすというコンセプチュアル・アートの手法において、両者には共通の性質が見出せる。

また「国境を越えあらゆる周波数をカバーするラジオ」というアイデアは、本シリーズが制作された1980年代の冷戦下の状況を考えると、その政治性においても興味深い。このユートピア的な志向は、ゲンツケンがその造形においてバウハウスロシア構成主義を引用することとも重なる。

アンビルト建築

同じく80年代、ゲンツケンは建築的な作品を継続して制作している。石膏製の彫刻《WEGA》(Fig. 8)はその屹立する巨大な記念碑のようなかたちでロシア構成主義を想わせ(Fig. 10)、またガラス板で構成された《ベルリンのための新しい建物》(Fig. 9)は、ミース・ファン・デル・ローエの《フリードリッヒ街オフィスビル案》の直接の引用となっている(Fig. 11)。

Fig. 8:イザ・ゲンツケン《WEGA》1985年(左)
Fig. 9:イザ・ゲンツケン《ベルリンのための新しい建物》2005年(右)
Fig. 10:ウラジーミル・タトリン《第三インターナショナル記念塔》1919年(左)
Fig. 11:ミース・ファン・デル・ローエ《フリードリッヒ街オフィスビル案》1921年(右)

ロシア構成主義運動の中心人物ウラジーミル・タトリンの《第三インターナショナル記念塔》は、社会主義的ユートピアのための記念塔として構想された地上400メートルの高層建築であるが、実現にはいたらなかった。また同じくミース・ファン・デル・ローエの《フリードリッヒ街オフィスビル案》もコンペ案で終わっている。これらはアンビルト(建てられない/建てられなかった)という点で、ゲンツケンの建築的な彫刻とも共通する。作品の最終形態が模型であることで、鑑賞者は仮にそれが実現された場合の巨大な姿や都市像に思いを馳せることができる。

またゲンツケンはバウハウスや構成主義を引用し敬意を示しながらも、連作《ファック・ザ・バウハウス》(Fig. 12、Fig. 13)に見られるように、すでに体制側となって久しいその合理主義・機能主義に反旗を翻してもいる。

Fig. 12:イザ・ゲンツケン《ファック・ザ・バウハウス#1》2000年
Fig. 13:イザ・ゲンツケン《ファック・ザ・バウハウス#2》2000年

変化するスケール

《WEGA》や《ベルリンのための新しい建物》は、縮小されたスケールモデルであり、真のサイズは観念的なものである。また《柱》シリーズにおいては、柱は等身大の他人であると同時に、集合体として提示されることで摩天楼として見ることもできる(Fig. 14)。等身大の人間と高層ビル、この二つの見方の間を行き来することで、スケールが観念上で大きくなったり小さくなったりする。

Fig. 14:イザ・ゲンツケン《A, B, C, D》2002年

前述の『彫刻についての覚書』において、ロバート・モリスは作品のサイズについて論じている。モリスは、人は自分よりも大きい/小さいものであればそのサイズを即座に判断できることから、人間の身体のサイズを自身の彫刻作品における絶対的な定数であるとする。

ゲンツケンもまた、スタンドライト・窓枠・屏風・椅子といった、「定数」である身体との関わりが深い建物要素や家具を実物大で提示することで、鑑賞者と作品との関係を意識している(Fig. 15)。作品の周囲には常に歩いて回れるような空間が確保されており、鑑賞者は作品をじかに体感することができる。

Fig. 15:イザ・ゲンツケン《X》1992年;《ヴェネツィア》1993年;《屏風》1990年;《窓(赤/黄)》1994年(左から右)

イメージの相互作用

2000年以降、ゲンツケンは作品にさまざまなイメージを付加していくようになる。マイケル・ジャクソン、ネフェルティティ胸像、ダ・ヴィンチの聖母像といった大衆文化や普遍的な美のアイコンの複製、報道写真の切り抜き、日用品、工業製品が混沌と組み合わされている(Fig. 16)。そのイメージの洪水は情報化時代の写し絵のようだ。組み合わせの唐突さと強迫的なところがアビ・ヴァールブルクの図像パネル『ムネモシュネ・アトラス』を想わせもする。これらのバラバラのイメージを、鑑賞者は眼でなぞるようにスキャンし、タイトルと併せて、そこから意味を読み取ろうとする。しかしそこに答えは用意されいない。何かを見つけたと思った瞬間、次のイメージによって裏切られる。

Fig. 16:イザ・ゲンツケン《バーベキュー》2004年(左手前);《風(B)》2009年(右後方)

薔薇の多義性

正面玄関前には8メートルを超える《ピンクの薔薇》が設置されている(Fig. 17)。建築模型のシリーズとは反対に、こちらは花を巨大に拡大したスケールモデルとなっており、遠近の感覚を狂わせ、周囲の建物を相対的に小さくさせる。花びら・葉・棘は自然に忠実に作り込まれて自然主義的・即物的な造形となっており、ゲンツケンの他の抽象的な作品とは大きく性格を異にしている。

Fig. 17:イザ・ゲンツケン《ピンクの薔薇》2016/2023年

バラは花の女王であり、花を代表する存在であるバラには、時代や文化を超えて多くの象徴性や含意が与えられてきた。ゲンツケンの作品では常に複数の読み取り方が求められる。さまざまなイメージや概念が相反しながら複雑に組み合わされており、その重層性こそが彼女の芸術の本質を成している。そのことからも、多義性を内包するバラの自然なままの姿こそが、今回の回顧的な個展の玄関を飾るのにふさわしいといえるだろう。

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ゲンツケン展の会期中、新ナショナルギャラリーのすぐ下の階にはゲルハルト・リヒターが展示されていた(Gerhard Richter. 100 Werke für Berlin)。リヒターはデュッセルドルフ芸術アカデミーでのゲンツケンの指導教授であり、二人は1982年に結婚している。1993年の離婚後、リヒターはまたすぐに若い女学生と再婚するが、ゲンツケンは別れを乗り越えることができずアルコールに溺れ、ひどい鬱に苦しむことになる(Ref. 2)。もう一人の西ドイツ美術界の巨匠ヨルク・インメンドルフにしても、その美貌の若妻が彼の指導するクラスの学生であったことを考えると(画家のOda Jaune)、一昔前はドイツの美大ひいてはアート界も、家父長制的な構造に支配されていたことがうかがえる。美術界の権威である男に捨てられ病んでしまったゲンツケン。そんな彼女に光が降り注ぐ「上階」の広々としたスペースでの展示の機会が与えられる。それも今の時代の要請なのであろう。

Fig. 18:イザ・ゲンツケン《無題》2015年(部分)
離婚から20年以上経っても作品にはリヒターと一緒の昔の写真が掲げられていて、見る方は複雑な気持ちになる(写真内上部)。

展覧会情報
Isa Genzken 75/75
Neue Nationalgalerie
2023年7月13日〜11月27日

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Header: "Isa Genzken, 75/75", photographed by the author
Fig. 1, 2, 5, 6, 8, 9, 12-18: "Isa Genzken, 75/75", photographed by the author
Fig. 3: https://grupaok.tumblr.com/post/180658554879/robert-morris-box-for-standing-1961
Fig. 4: https://www.castelligallery.com/attachment/en/5ccc8899a5aa2c2f30864af2/Publication/5d126c9e72a72c2116f961c4
Fig. 7: https://www.artnet.com/artists/bruce-nauman/drawing-for-concrete-tape-recorder-piece-lu7Eqm1WJDLv7218xseU-g2
Fig. 10: https://ja.wikipedia.org/wiki/ウラジーミル・タトリン#/media/ファイル:Tatlin's_Tower_maket_1919_year.jpg
Fig. 11: https://ddvm.org/2020/08/03/friedrichstrasse-skyscraper/

参考
Ref. 1: 展覧会パンフレット "Isa Genzken 75/75. Neue Nationalgalerie. 2023"
Ref. 2: 2016年のインタビュー:https://www.tagesspiegel.de/gesellschaft/zu-tokio-hotel-tanze-ich-wie-ein-teenager-3724186.html

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