見出し画像

閃輝暗点


目を覚まし、瞼をゆっくりと上げれば視界の一部がぼやけていることを認識し、確かな不快感によりまた瞼を下ろしていく。

このぼやけは数時間視界の中に居座り、そして静かに消えていく。そしてぼやけと入れ替わるように頭痛が始まり、酷い時だと吐き気も合わさって私を攻撃してくる。不快な攻撃のフルコース。味はもちろん不味いの一点張り。

閃輝暗点。私はこの症状に悩まされていた時があった。

初めてこの症状を認識したのはたしか中学生の頃。当時バドミントン部だった私は体育館での部活中に突然視界に違和感を感じ、気がつけば頭痛と吐き気に襲われ身の危険を感じ、早退をして自室のベッドで死体のように放心していた。

そこから数年間は頻繁に同じ症状に襲われ、その頻度は高校生になるにつれて月に1回、2ヶ月に1度、半年に1回、と減ってはいたものの、忘れた頃に顔を出しては嫌がらせのように私の中でその症状が楽しそうに踊っていた。

周りにこのことを話しても似たような症状を持っている人は居なかった。ネットで調べても中々自分の腑に落ちる症状が見つからず、「求めているものと微妙にズレてんだよなぁ」と小言を漏らしながらさすがに病院に行くべきかと悩んでいたところ「閃輝暗点」という単語を目にした。

こんなにも悩まされているのになんだか無駄にかっこいい単語に少々イラつきが生まれたが、まぁ、名称に罪は無いためそのイラつきは強引に飲み込んだ。


頻繁に症状が現れていた頃の閃輝暗点は地獄そのものだった。視界にぼやけが生まれた時の絶望感。これから私は頭痛と吐き気に襲われることが、世界の切れ端のような視界のぼやけにより確約されてしまう無慈悲な運命。「やめてくれ、頼むからやめてくれ」と切に願ったところで、止まることは無いその症状が本当に地獄だった。

とはいえ、今では閃輝暗点に襲われることは少なくなったが、本当にごく稀に視界のぼやけが発動することがある。もう正直、慣れてしまったから「あー、はいはい。いらっしゃい」なんて寛容な心にすり替えて症状を受け入れている。頭痛はしんどいが。


瞳の奥 強かな 閃輝暗点の予兆

さよならポエジー / 金輪際

私の好きなバンド、さよならポエジー。 金輪際 という曲の中でこの歌詞を見た時、体がビクッとなり親近感と衝撃に心が満たされた。

ボーカルのオサキアユさんも閃輝暗点持ってるんだ…なんて勝手に手を伸ばして握手をし、おこがましくも症状への同情により仲間のような面をして頷く私。ただ、閃輝暗点という単語があるだけなのに、それだけでもなんだか嬉しかった。嬉しいという感情があっているのか分からないが、ただ歌詞の一部として存在し、オサキさんらしい言葉の紡ぎ方で閃輝暗点が使われているのがとても好きだった。


閃輝暗点。

できることならもう私の人生に踏み込んで欲しくない症状ではあるが、やはり無駄にかっこいい単語故に、「わたし、閃輝暗点なんだよね〜」なんてちょっと言葉を主張して人に言いたくなる時もある(いや、ないか…)

またその症状が現れるのなら、もういっそのこと肩を組んで受け入れようか。なんて。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?