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改善の話:小学校と中学校
今日は中学の総会とクラス会だった。
幼稚園から小学校を経て、学校の会に関わり続けてきて思うことは保護者の発言で変わることもあるということだ。
そう思うのは実際に変わったことを体感できたからで、
例えば小学校で一年生が重すぎるランドセルにフラフラしながら歩く姿をみた。
もう6年も前の話だが、熱中症で幼い子が倒れるニュースが頻繁していたんだ。
それを受けて少しでも何かできないかと、ランリュック導入の提案書を学校側に出して、話し合って選んでもいいようにしてもらった。
この提案を受け入れてもらうのにも結構時間がかかった。
私は他の学校のリュックサック導入例やランリュック県別のデータを添付した書類を作り、気候の状況や、ランドセルが子どもに占める体重の値なんかも話題にしながら選択肢を増やすようにお願いした。
一度決まっていて別段不都合がないようにみえるものって、そのまま引き継がれていくよね。
新しく何かをするのは大変だなぁ
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うちの子は導入までの間に成長してしまったことで1番恩恵をうける体格が小さい時期を逃したけれど、楽だからという理由でランドセルに疲れた時に背負っていた。
その後小学校ではランリュックを選んでいる子もちらほら出て、年々増える教材で重すぎる鞄から少しでも負担が少なくできる選択肢があるのはよかったなぁと思うのだ。
特に幼稚園から上がってきたばっかりのころに軽いものが選べたら、うちは即ランドセルと併用していた。
そうやって、
「こうした方がいいよね」
「この選択肢もあるよ」というのが後世に引き継がれていって、
後世の当たり前を作っていくのだ。
中学校の話
さて、そして今日中学校のクラス会でお母さんから意見が出たのが
「指定カバンって荷物が入りきらないくらい小さいですよね」
この発言は去年も出た気がする。
学校カバン問題。
どこの学校でも、いつになってもカバンは話題にあがるんだな。
それを受けて先生は
「このカバンは数年前に生徒発案で作ったものです」と言って終了した。
わかる。
けれど改善できるところは改善してきたから日本の技術が発展してきたんだよなぁ、ともおもう。
かつての日本は「カイゼンする力」で他の海外製品の商品と差をつけてきた。
それはユーザーの目線に立ったからできることなのだ。
作り手がこだわったからこのままです!では停滞する。
まあ、でも背負う本人たちが発言して変えていかないといけないのだろうな。
カバンが小さくて不便だけど、それを踏まえて立ち上がるのは保護者ではなく、この年齢では生徒の方だ。
困ったら、生徒が立ち上がらないと変わらない。
中学生になったら保護者が変えてはいけないのだ。
まあ小さい子と違って、カバンが小さくても中学生は死なないというのも私が静観する理由の1つだなぁ。(めんどくさいからという理由もある。)
カイゼンしたいなら生徒がやるべき話だ。
だから今度は私は立ち上がらない。
かといって娘は絶対に立ち上がらないだろうな。
その他の意見
他に上がった意見
・宿題が多い
先生からの要望
・朝読書の時間15分は読書をしてほしい。
・読書は数学につながる。
・手帳でスケジュール管理をしてほしい。
・通学におけるマナーでクレームがくる。歩きスマホやコンビニ立ち寄り、電車ホームで走る行為はやめること。
・上位に入る子たちは自宅学習を毎日2時間はとっている。
おまけ
合唱コンクール練習の様子をみた。
多くの生徒がマスクをつけたまま歌っていてびっくりしたんだ。
先生が白々しく「声出てないですよねぇ」とか言っていた。
マスクつけてるからね!
思わず「本番もこれで歌うのですか?」ときいてしまった。
本番はマスクを外させるらしい。
ならなぜ練習で外さないの...?
理解に苦しむ。
コロナではなくなったのにマスクを外して歌う指導をしないのだろう。
酸欠で苦しくないのか疑問、、
あ、だから声が出ないのか。
本人たちは酸欠だろうとマスクをしたいのは解るんだけど、、
コロナ世代って絶対マスク外さないんだなぁ。
運動会ですらマスクつけてたもんな...
娘も例に漏れずマスクを断固外さず生きてる。
すごいなぁ、、
本が欲しい