「大人になる」とは?
こんにちは。今回は「あの人は40代にもなってなんか子供っぽいな」と何人かに感じたところから、ふと「大人になる」ってなんだろう?と考えたことを書いていきたいと思います。
なお、今後家庭を築いていくためにも大切な考え方になるような気がしております。
「大人になる」の結論としては「コミュニティでの役割を果たせること」だと思いますので、それを念頭に置いて読み進めてみてください。
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■ことの発端:違和感
さて、話の中心の一人目は私が過去勤めていた会社の40代の管理職男性となります。結婚はしておりますが子供はいない方です。
私の上司ということもあり、それなりに会話することもあるのですが、どうも会話の節々で「自分」を出してくるのです。
例えば、1on1などの定期的な面談でもなぜか私が聞き役になって、彼の最近の出来事を聞かされたり、何かの説明をするたびに「今の説明すごいわかりやすかったよね?」と謎の合意を求められたり。
正直、私の業務には支障はありませんでしたし、評価も基準があるわけではなく、気分で評価されていたため、適当にヨイショしておけばいいかなと思って、あまり気にしていませんでした。
ただ、小さいことでも積み重なるとイラッともしてきます。それに、飲み会の際に酔った勢いなのか「このメンバーの中で一番偉いのは自分だぞ」といった発言もあり、だんだんスルーすることができなくなってきました。
その時所属していた会社は数十人程度の、小さいどこにでもあるような会社でしたので、こんな人が上司だということに恥ずかしさと、入社してしまった自分に怒りを覚えました。
まあ、当時私はそんなことを思いながらも、この年齢でこんなことをやっているなんてどうなんだろう?と違和感がどんどん大きくなっていきました。
ただ、その違和感も単純に「なんかダサいな」と思う程度の漠然としたものでした。
また、別の会社の40代管理職男性は、自分が部長であることを盾に「自分は部長で忙しいから、それくらいやってくれないと困る」と。
やったらやったで難癖つけてくるパターンですね。
私は部長であることと、忙しいことは別の問題だと思いますし、権限のある人がそれをコントロールできないことに疑問を感じていました。
恐らく、その人は忙しくしていることこそ存在価値だと考えていたのだと思います。
■役職と行動
先ほど私が関わった2名のことを書きましたが、両者とも管理職なのにプレイングマネージャー(99%プレイング)でして、管理職らしいことをほとんどしていませんでした。
一人は私が退職する旨を伝えたときには「なんとなく、ここ数ヶ月そんな気がしたよ」と言い出す始末です。普通であれば管理職として退職の雰囲気を感じたのであれば、阻止する手段を考えるのだと思います。
まあ、私が全然仕事ができずに、さっさと辞めてほしいと考えていたのであれば話は別ですが(そうだとは思いたくない)。
仕事も右から左に流して、そのまま放置ですし、人には報告しろと言いつつ自分からは何も発信しない、などなど、管理職以前に社会人としてどうなの?と思う場面も多々ありました。
もう一人は、その人の部の雰囲気はピリピリしていましたし、短期離職者も後を経ちませんでした。それでも自分は一生懸命やっているので問題ない、というスタンスです。
つまり、現実に起きている問題を見ぬふりをして(離職者の問題にすり替えている)、開き直っていたのです。
そして、時間が経つにつれて、「違和感」と「肩書にそぐわない行動」とが徐々につながってきました。
ああ、この人は組織の中でも自分を中心にするんだな、と。
■ミュニティごとに違う顔を持つこと
多くの人はコミュニティごとに違う顔を持っています。仮面を被っているとも言えるでしょう。
例えば私であれば、実家にいれば妹もおりますので長男っぽく、地元の友だちといれば場を盛り上げる役、仕事では自ら主導してプロジェクトを推進する役、などなどです。
自分がどのコミュニティにいて、どんな振る舞いをし、どうやったら人に喜んでもらえるか、と考えれば自然とそのようになっていくのではないかと思います。
コミュニティに自然と馴染んでいる人は、無意識的に、過去の経験則的に、コミュニティを中心として客観的に自分がどの位置にいるか把握する力があるように感じます。
ちなみに私はそれがあまり得意ではないので、コミュニティに馴染むまでやや時間がかかってしまいます。
これが、冒頭に書きました、「大人になる」ことは「コミュニティでの役割を果たせること」という関係に繋がるのです。
人間は社会性の動物ですので、コミュニティに対しての関わり方はGIVEがベースにあります。逆に、TAKEもしくは自分に矢印を向けている人は、コミュニティへの貢献が少ないため、煙たがられてしまいます。
そうしてだんだんとコミュニティから距離を置かれてしまうのでしょう(会社は必然的に居場所があるので、会社一筋の人が一定数いることと繋がる気がします)。
他人やコミュニティが与えてくれたり、自分勝手でも許されていたりするのは子供の時だけです。大人になれば、与える側にならなければなりません。そうやって次の世代へと、形を変えて受け継いでいくのだと私は思います。
ある程度自己を犠牲にしてもコミュニティのために貢献する、これこそが「大人」の行動ではないでしょうか。
私自身、若い頃は自分が世界の中心だと思っていましたし、そういう態度を取っておりました。しかし、それでは人付き合いが上手くいくはずもありません。
多くの人のおかげで徐々にマインドを変え、今所属しているコミュニティのために自分ができることは何か、と考えて行動した結果、人間関係が上手くいくようになりました。
気づいて事実に向き合うことも辛かったですし、自らを変えていくことも辛かったのですが、今となってはそれがいい経験となっています。人を変えるよりも、自分が変わる方が良いに決まっています。自分の人生ですので。
■30歳も超えると誰も注意してくれないんだなあ
このご時世、なかなか人に注意することも難しく、多様な価値観を認めないといけない風潮があります。もちろん私も一人ひとりの価値観は大切にすべきだと思いますが、大切にすることと、自分の好きなように行動することは別だと思います。
多様化が進んだ結果、世間一般的なロールモデルがなくなり、自分はどう生きていくべきかと問う必要があるのが現代だとも思います。20代中盤くらいに結婚して、30代では子供二人の家族四人でローンを組んだ新築一戸建てに住んで、というような、ある意味それに従っていれば自然と大人になれる(=コミュニティに貢献できる)ような姿はもうありません。
私は幸いにして?学生のころから多くの年上の人たちと関わりがあり、今でもたまに会ってお酒を飲んだり遊んだりさせていただいています。そして、この歳になっても当時と変わらず心に刺さる指摘をしてくれます。
痛い指摘ですが、それだけ私に改善すべきところがあるということですし、30歳を超えてなお誰かに指摘を受けること自体が、割と珍しいと思いますので本当にありがたい限りです。
また、私は月に数冊程度本を読みます。ビジネス系や行動心理学系が主ではありますが、こんな考え方もあるのか、これは自分の弱いところだな、など反省すべき気づきも多くあるので、読書も私の考え方に大きく影響しています。
徐々に指摘されることもなくなり、逆に指摘することが増えていくとどうしても自分のことを見失いがちになってしまうように思います。
そういう時こそ、自分を見つめ直すことが大切なのでしょう。
■最後に
リアルもしくは心の中に師匠を置き、変なプライドは捨て、年齢関係なくいいと思ったことは取り入れる、これが個人としての成長で、それを更にコミュニティに還元していくことを自主的に行うことがこれからの「大人」なような気がします。
物質的に豊かになった先には、心をどう豊かにしていくか、ということが大きな課題になるでしょう。これは考える力がとても重要になり、考えられる人と考えない人とで、分断されていくようにも感じます。
ただ、それをコミュニティという存在が包み込んでくれることで、緩やかにつながることができるとも思います。
私は、人と人のつながりや、人を想う気持ちはこの先ずっと変わらないと思いますし、そうであってほしいと願っています。
でもきっと、自分のことばかりを考えている人は、社会のどこかで置いていかれてしまうでしょうし、その人達を救う手段は私にはわかりません。
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