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『ぼくらが旅に出る理由、ぼくらがタビに出る理由。』[Part 1](第1版, 1100字, 私小説ショートショート, W011)

[Part 1]

旅に出る理由を聞かれたら、私はいつもこう答える「何から逃げたいかはよく分かっているが、何を求めているのかはよく分かっていない」と

モンテーニュ『エセ―』

僕は男をいていた。
裸で横たわったまま、左腕で誰かをいだいていた。
目もうまく開けられなかったが、左半身から伝わる筋肉質な感触で、それが痩身の男性だということだけは分かった。
彼も裸だった。
男二人くっついて離れず、何も話さなかった……というか、僕は話せなかった。
身体はいうことをきかず、抵抗することもできず、何とかしようという気も起きず、自分はするのかされるのかそれとも事後なのかお尻に異常はないかなどの思考を巡らすことはなく、ただ彼が誰なのか探ろうとすることだけに力を注ごうとした。
声が聴こえれば、せめて少しでも見上げることができれば顔が分かるのに……ということは僕より背が高いのか。
そこまで考えが及んだところで、目を開くことができるようになった――要するに目が覚めたのだ。

夢から醒めてもなお、なんだか生々しい肌感覚が残った。
このワンシーンだけをBL書きの方にトスを上げたら思いもよらない角度から鋭いスパイクが返ってきそうな気がして少し独りで苦笑した後、僕は夢のなかと同じように彼が誰なのかを、躰を起こさぬままに寝起きのぼんやりとした頭で考えるとすぐに、心当たりにたどり着いた――こんな突飛に冗談とも分からない冗談をやる細身ほそみの男性は、僕の人生でひとりしか現れなかったからだ。
彼のために、僕はまだ夢現の思考で彼のことを思い出そうした。

「今夜、僕と一緒に情宣まわりませんか?」
やけにもったいぶった独特の台詞回しで先輩は僕にそう言った。
二十年前、僕と先輩は同じサークルで、先輩はひとつ年上で、二か月後の演劇の本番に向けて準備を進めている最中で、その日は確か練習の終わった後の土曜日の夜で……まぁ、とにかくその公演のチラシの裏に、お金を払って広告を出してくれないかとお店にお願いして回る――さきほど先輩の言った「情宣」とはここではそういう意味だ。
大学生のサークル活動に広告費を出してくれるような奇特なお店を探し歩くというシビアなビジネス的活動で、コミュニケーション能力もネゴシエーション力も皆無も僕には挑戦することさえおこがましいよなミッションなのだが――とはいえ、自分を棚に上げるとしても先輩のそれも期待できる気はしない。
そんなわけで声をかけられた時点でなにやら怪しいとは思っていたが、僕には断る理由がなかった。
そんなわけで男二人が自転車で街の方へと繰り出すことになったのだが、僕には先輩との思い出は、この夜の事しか今はもう思いつかなかった。

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