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『ぼくらが旅に出る理由、ぼくらがタビに出る理由。』[Part 2](第1版, 1100字, 私小説ショートショート, W011)

[Part 2]

古い建物がなくなって
新しいビルが建ってお店が入ると
あれ? 昔は何だっけ? 何がそこにあったっけ? って記憶が混乱する

おかざき真理(『かしましめし』1巻)

季節は冬へ秋の只中で既に陽が落ちて肌寒く、自転車を切る風はその鋭利さを増して襲いかかってくる。
先輩と僕は大学前の学南交差点から国道を渡り、総合公園を右手に見ながら南下して吉野家を左へ、さらに進んでは踏切を横切って線路沿いの細い道を駅前通りを行く。
先輩はとにかく付いてくるように言っていたが、道中はほとんど喋らず、ペダルを漕いでは時折こちらの存在を確かめるように振り向くだけだ。

駅東口に着くと、地方都市の駅前らしい再開発で整った広い駅前通りの歩道を西川まで、次は川に沿って車道を走った。居酒屋やバーやスナックが肩を組んで並び、細い川面ではネオンサインが酩酊している。
飲食店はたくさんあるのにどこにも寄らず、前をゆく先輩は幸町の手前を左折して中央郵便局のある方へとハンドルを向けた。
もういよいよあやしい行く先だ。その細い路地は暗く、住宅街であるようにも見える。そこに目にした小さな看板――ピンク色に光るゴチック体を見た瞬間、ぼんやりとした疑惑は本能的な核心に変わった。

――しかしこの後のことの詳細を、僕はよく憶えていない。
先輩は「コレも芸の肥やしになるから」とか「男なら童貞を早く捨てるべきだ」とか「ここまで来たら逆に入らないのは恥ずかしい」とか、そんな風に諭されたような気もするし、お店の前でそんな都合のいい説得をせず、ただただ「さぁ情宣を取りに行きましょう」とかなんとか意味不明な強制連行をされそうになってたかもしれない。
結果だけ言えば、僕はその場から逃げだした。
問答しても無駄だと思ったから。
そのソープランドの前にいた恰幅のいい「お兄さん」をチャリで突き抜け、右折し左折しながら県庁通りから路面電車トラムの走る大きな国道に、ひとり戻った。
往きとは違う道程を選らんだ。先輩を撒くために。
若い日の僕は、さんざめくヘッドライトの波を遡上し追いつかれぬよう汗をかくほど息を切らせて走りながら、躰を吹き抜ける風に解放された清々しさを感じていたのをよく憶えている。

僕のバツの悪さと、欲望の手招く看板のスポットライトの下に残された先輩が、何を感じ、何を思い、どうしていたのか――
年を取り、あれから20年を過ぎた今でも僕は知らない。
訊くこともできない。
のちに聞いたのは彼の訃報で、それは僕が大学院を去った後、24歳の春先の頃だった。

彼はそういう人なんだっけ? 私はどういうつき合い方をしていたっけ? 私は何を見ていたんだろう

おかざき真理(『かしましめし』1巻)

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