うむアギー

ずーーーー

うむアギー

ずーーーー

最近の記事

書きたいことは色々あるんだけど、徒然なるままに書き起こす気力が湧かないうちに、日々の荒波に揉み消されて忘れ去ってしまう。日々違う形のモヤモヤに悩まされている気がするのに、思い返そうとすると大体同じ形をしている。

    • 音響って。 2024/10/17

      身も蓋もない話だけど、 映像作品はどうしても、どんなにその他全てが良かったとしても、脚本と編集が良くない限り「つまんなかった」で終わってしまう。 それが、音や音楽が好きな人間として物足りないと感じることが多々ある。 自分の作り出す音響世界のみで良し悪しが決まるようなことをしたい、やりがいが足りない、というのが最近ちょっと(かなり)思っているところ。(音楽を除いた)音だけで作り出される作品世界の市場は狭いしまだまだ未開拓だと思う。思うなー

      • 7/3

        ずっと私という人を否定され続けて辛いけど、ある程度覚悟してたし平気だから、あなたが諦めたから我々のこの関係が終わるということはあり得ないということだけは伝えておく

        • 急になんかダメだとなる 昨日からずっと

          備忘録

          最後に濱口は「劇映画とリアリティについてどう考えていますか?」と質問を投げかける。黒沢は「わりとどうでもいいこと」と返答。続けて「あることをすごく変だと言う人もいれば、『あるある』と思う人もいる。リアリティほど怪しい言葉はない。映画を作るにあたってリアリティの基準を設けるために監督はいますから」と述べ、「リアリティは面白さと関係がないことだと思う。とはいえ、監督が信じるリアリティはワンカットごとに追求していくべきだと思います。それが作家性とか個性になっていくんじゃないですか。

          いかにプロらしくない発想をし続けられるか

          いかにプロらしくない発想をし続けられるか

          フィクション

          フィクションをリアルにするには、リアルも伝統的慣習的誇張込みの完全なるフィクションで構成しないといけないのだと学ぶ日々。 リアルを求めるなんて言ったって、リアルさに最も無自覚なのは我々であって、フィクションとリアルを比較しないとそれが嘘だと気づけないことばかりだ。嘘だとも気付かず「リアルで素晴らしい」などと言うのだ。だからフィクションを作って聴く人を騙す立場にある自分は、自分が作っているのはリアルでもフィクションでもなく「人々がリアルだと知覚するようなフィクション」であると

          フィクション

          明日から社会人、その前に

          明日から仕事。明日から毎日仕事だ。 信じられないままだけど、私が信じようが信じまいが明日は来る。 楽しみだけど、きっと何もできない自分というのを突きつけられて惨めな気持ちになったりもするのだろう。明日はきっと、というか今週はきっと、何も為さぬまま終わるのかもしれない。などと思えば思うほど、日々少しでも爪痕をこのしていきたいと意気込んでいる方が良いのではないかと思う。つい三日前くらいまで大学を卒業して学生という身分を没収されることに慄いていたけれど、今はどうやって一刻も早く会社

          明日から社会人、その前に

          夕飯作って食器洗って歌録りもして本も読み終えて、何もない1日にしてはよく頑張った

          夕飯作って食器洗って歌録りもして本も読み終えて、何もない1日にしてはよく頑張った

          両親も両祖父祖母も同じ市区町村に住んでいて海外の友人の日常もインスタで覗ける現代っ子の私にとっては、「死」以外の強烈な別れを経験する機会はほぼ無いに等しい。と思っていたけど、自分がその場に居られないことの大きさは地理的な遠さを顕在化させて訴えて来る。ことを知った。これが別れかと。

          両親も両祖父祖母も同じ市区町村に住んでいて海外の友人の日常もインスタで覗ける現代っ子の私にとっては、「死」以外の強烈な別れを経験する機会はほぼ無いに等しい。と思っていたけど、自分がその場に居られないことの大きさは地理的な遠さを顕在化させて訴えて来る。ことを知った。これが別れかと。

          家族以外の人に空港でお見送りしてもらうのは初めてだった。餞別に黒糖焼酎を貰い、喜界島での夕飯には1円もお金を払わずにご馳走を鱈腹いただいて。なんでこんな私に優しくしてくれるのかわからないまま、気付いたら飛行機の中で必死に泣かないように堪えてた。こんな旅になるとは思ってなかった。

          家族以外の人に空港でお見送りしてもらうのは初めてだった。餞別に黒糖焼酎を貰い、喜界島での夕飯には1円もお金を払わずにご馳走を鱈腹いただいて。なんでこんな私に優しくしてくれるのかわからないまま、気付いたら飛行機の中で必死に泣かないように堪えてた。こんな旅になるとは思ってなかった。

          徒然

          自分の尺度。つい最近まで結構頼りにしてたというか、芯が丈夫なものになって来たと思っていたのに、ここ数日とても揺らいでいる。 この旅を通して幸せな出会いがたくさんあって楽しくて嬉しくて、こんな日々が続けばと思いながらベッドに潜る。携帯画面を開くとなんだか切ない。私(たち)は画面の中の狭い狭い世界に生きていて、旅で出会う人たちは画面の外を生きているなと痛感する。 例えば、少し知っているだけだった人がパブリックで上手に貪欲にカツヤクしているのがチラチラ目に入ってしまう。自分が遠

          また遠くへ来た

          遠くに来るたびに、近過ぎた人たちの輪郭がやっとはっきりとわかって安心する。そして私はいつも、最初から答えがわかっていることに何故か悩んでいるのだとわかる。だって、もっと先のことについての悩みはまだ現実味がないせいで悩むに悩めない。直前に迫っている、もう他の選択肢を選べないほど目の前に来ている未来に突き進むのが怖くて、悩んでも仕方ないのに悩むということがほとんど。身も心も1人になれた時、そういうことがわかってくるから、旅が好きなんだと思う。なにを観るでもなく。

          また遠くへ来た

          まず定期的に休んで好きなことをする

          まず定期的に休んで好きなことをする

          仕事がない日々

          仕事がないと、驚くほどその他のことをしない。 それでも仕事をしない数ヶ月を過ごすと決めたのだから 3月までは自分のことだけをする生活をしたいけれど 問題なのは自分のことすらしなくなるということだと気づいた。 やりたかったことも、全て些細でくだらないことに思える。 私はそれをやり遂げてどうしたかったのだ、と。 どうしたいも何もないのに、そんなことばかり自分に問い続ける。 いいことがあっても幸せな気持ちになれない。 他人から与えられたものにばかり感動して、 自分の手で得たものに対

          仕事がない日々

          激情

          言葉にした途端に錆びついてしまう激情に 誰にも内緒で餌を与え続けていた。 悟ったような顔をして、ただ一点だけを見つめていた。 誰にも悟られ諭されぬように。