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写真は肉眼を超える

高校最後の秋、受験勉強のために籠っていた図書館で神社仏閣の棚を眺めていると或る写真と目があった。火花の散るような出会いだった。

撮影者の名は土門拳。写真界の直木賞と呼ばれる毎日新聞主催の賞「土門拳賞」にも名前を残す、昭和を代表する報道写真家だ。

出逢い

もともと神社仏閣がなんとなく好きで、そういった写真集をパラパラ眺めることが勉強からの逃避になっていた。しかしその中に一枚だけ目を逸らせない写真があった。その写真の撮影者こそ土門拳だった。

すぐにその名前で検索し、書庫に納められていた「古寺巡礼」を取り寄せた。巻数を指定し忘れたら何故か第4集が渡された。しかしそんなことより私を驚かせたのが「古寺巡礼」の装いだ。

両腕で抱えなければ持つことができないほどの大きさと重さ、川端康成の手による題字が焼印された木箱、活版印刷特有の凹凸、限定2000部との表示…私の知る写真集の風貌ではなかった。

ページを繰る中で、生まれて初めて写真に殴られるような衝撃を受けた。いや、写真だけではなく絵画にせよ映画にせよ、諸芸術において美しいなあ…という以上の衝撃を受けたことはなかった。気づくと受験生であることも忘れ、図書館の隅で涙を流していた。

鬼の眼、土門拳

 対象の本質までもを写し取るといわれたその人の写真は力強かった。撮影地には何度も何度も足を運び、対象の最も個性的なところを掘り出した。不思議なことに仏様の掌のみを写していても、それがどの仏様かよくわかる。彼は「雲の飛ぶ日も、どんよりと曇った日でも」変わることのない「個性的なものの美しさ」を希求し、そして見事にそれを写し取っていたのだ。

なぜ「古寺巡礼」か

 室生寺に始まり約40年もの歳月を注いだ「古寺巡礼」の撮影だが、土門拳が最初に室生寺を訪れたのは戦時中。なぜ彼は戦後日本の世に送り出すテーマとして「古寺巡礼」を選んだのか。彼のエッセイにはこう書かれている。

「くたびれはてた日本人に、日本民族の培ってきた自主独立のヴァイタリティを注ぎ込むのが、写真家たるぼくの責務であると痛感し、その舞台に室生寺を選んだ。」

「ひとりの日本人の、みずからの出自する民族と文化への再確認の書として、愛惜の書として。」

 この想いがそのまま、写真に滲み出ていた。そこに納得すると同時に驚いた。彼の文章は教養で満ちていたのだ。

名文家・土門拳

 失礼なことに写真家をはじめとする所謂芸術家、クリエイターと呼ばれる人たちはセンスで仕事をするものだと思っていた。教養はその邪魔にしかならないのだろうと思い込んでいた。しかし彼の文章と写真から、教養は世界をみる「窓」であると気付かされた。

「漆の剥げ落ちた後に残る螺鈿はいつも鈍い光を放っていたし、緑青の浮いた打ち出しの孔雀文は和菓子のような柔らかさだった。」

 これは古寺巡礼第4集の金色堂について述べた「中尊寺-形あるものは亡びる」の一文である。金属である「打ち出しの孔雀文」を「和菓子」と例えるか、と面食らった。しかし彼の写真をみると確かに「和菓子のような柔らかさ」なのだ。ただカメラという機械で対象を切り取るだけではない、人の感性を介した写真の凄まじさを感じた。

写真は肉眼を超える

 さて、つらつらと土門拳への想いを熱く語ってきたがここでタイトルに立ち返ろうと思う。写真の立場について彼は次のように述べている。

実物がそこにあるから、実物をもう何度も見ているから、                                写真はいらないと云われる写真では、情けない。
実物がそこにあっても、実物を何度見ていても、実物以上に実物であり、  何度も見た以上に見せてくれる写真が、本物の写真というものである。
写真は肉眼を越える。


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