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明日の朝まで息を止めよう

 この肩に乗る空気が重たい。空気なのに、私の体一つでは支えられない。まるで私の方がからっぽなようだ。

 臓物ごと全て吐き出しそうになりながら、ここに無い“If”のことを考えてしまう。今私を苦しめているもの、環境、容姿、そして何より私自身の考え癖…これら全てから解放されていたら、私は幸せに暮らせていたのだろうか。

「いや、そんなはずない。私はこの苦しみの分だけ強く優しくなれるのだ。この人生がいつか誰かの救いになるのだ。」

 …というのがお決まりの結論で、私は私の頭を優しく撫でて、安心して眠りにつくのだ。自分を肯定することで現状を認めようとしているのか、現状を肯定することで自分を認めようとしているのかわからない。

 でも私は本当に強く優しくなっているのか、果たしてこの苦しみが誰かの救いになるのか…私はそうは思えない。自分のことに関しては、どうしてもそうは思えないのだ。

 自分で自分を認められないから、他人のことも認められない。相手に投げかける優しい言葉は、いつだって自分にかけて欲しかった言葉だ。こんな醜い内側を、自分では見えてしまうから厭になる。反吐が出る。

 ヤマシタトモコさんの「ひばりの朝」という漫画の中にこんなセリフがある。

「…おれ おまえのこと助けたいんだよ」(中略)「…『助ける』ってさ …どうやんのかな …どうなったら …あたしって ……助かってるのかな ……あたしって助かんの……?」

 私もわからない。私も、私がどうなったら救われるのかわからない。自分ですらそうなのに、現状の苦しみの先で誰かを救うことに希望を見出すなんて、暗闇の中で何も信じられないまま出口を探すようなものだ。下手すりゃ足をつける地面もない。

 でも残酷なことに、自分が誰かに救われた経験があるから、諦められないのだ。自分が誰かの光になることを、諦められないのだ。

 もう自分で自分をあやしても、眠りにつくことができない。かと言ってこの生を諦めることもできない。だからただ、今夜も…

明日の朝まで息を止めて、やり過ごそう。

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