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「また韓国行ったら買えばいっか」って思えた8年ぶりの渡韓。

先日、化粧用のパフが欲しくて近所のドラッグストアに行くと、韓国の大手ドラッグストア「オリーブヤング」のオリジナル商品(パフとメイクアップブラシのセット)が売られているのを発見した。

そのときに、咄嗟に思ったのは「あー、失敗した。韓国で買ってくればよかった。でもまぁいっか。また行くときに買ってこよ」だった。

家に帰ったあと、そのときの自分を反芻した。

あ、私また韓国に行く気でいる。
私、今、韓国がすごく好きなんだ。


9月半ば。私は8年ぶりに韓国へ行った。



仕事柄、毎日新刊をチェックしている。

2020年頃のこと。「なんだか韓国の本がよく翻訳されているなぁ」とふと思った。少し調べてみると、かの国では女性作家が台頭し、フェミニズム文学が花開いているという。

2019年には、文芸誌『文藝』で「韓国・フェミニズム・日本」という特集が組まれ、この号は『文藝』の創刊以来86年ぶりの三刷を記録したということだった。

そこで、ブームの火付け役となったチョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』と、何故かずっと心にひっかかっていたイ・ランのエッセイ集『悲しくてかっこいい人』を同時に手にとって読んだ。が、読み終わった当初は、これといって特別な衝撃を受けることはなかった。

はっきりと、何かが変わったのは翌2021年の5月のことだ。

Web記事を読んだのである。近年、韓国のアイドルや俳優らが愛読している本、つまり『推しの愛読書』をきっかけに韓国文学にハマる人が続出しているという。

「BTSセラー」という言葉があるのをご存じだろうか。
BTSのメンバーが読んだことがきっかけでヒットにつながった本のことだ。BTSの楽曲やMVには、小説や詩がモチーフとして使用されている。『車輪の下』『ライ麦畑でつかまえて』などの古典的な名作小説、マレイ・スタインの『ユング 心の地図』などが挙げられる。

出典:「推しの愛読書」からハマる人続出のK文学。コロナ禍でベストセラー続出

この時点で、私は「BTSという人たち」の存在と名前を初めて知った。アイドルなのに、楽曲にユングやヘッセ、サリンジャー。なんか、ちょっと、普通のアイドルとは違う感じがする。BTSは「防弾少年団」の略。う、うぅん?

この数週間後に、奇跡が起きた。

いつもお世話になっているMオンニ(韓国語で女性が年上の女性を親しみを込めて呼ぶときの総称。あ、もちろんこのオンニは日本人です)と会ったときに、偶然BTSの話になった。オンニが最近ハマりつつあるという。その場で公式ホームページを見る。わぁ。すごい。お化粧してる。綺麗な顔…なのかな?帰宅して、オンニがハマるきっかけになったMVを見る。……

そこからは、本当に、本当に早かった。

1週間後にはAmazonで彼らのアルバムを買い、さらにその1週間後、『1時間でハングルが読めるようになる本』を買った。

車の運転をしながら、シャドーイングをして子音と母音の発音を覚えた。その1ヶ月後には、ハングル検定5級を受けようと決めてテキストを買った。毎日12個ずつ単語を覚えて、You Tubeなどで初級韓国語を身につけ、独学を続けた。

その間に、さまざまな韓国の本を読んだ。キム・スヒョン『私は私のままで生きることにした』キム・ジナ『私は自分のパイを求めるだけであって人類を救いにきたわけじゃない』キム・ヨンス『世界の果て、彼女』キム・ハナとファン・ソヌ『女ふたり、暮らしています』ソン・ウォンピョン『アーモンド』……

世界がどんどん開かれていく感じがした。

いや。

眼前に新しい世界がまるっと生まれたような感じ、というか。


もともと語学が好きだった。

言葉というものに昔から興味があった。

小学生の頃は、祖父がおさがりでくれた電子辞書を持ち歩いていた。「ポータブルな電子機器を持ち歩く自分」に酔っていたのは言うまでもないが、「言葉を探す」「言葉を引く」という作業が、私にとってはひとつの遊びだった。

外国の言葉に興味を示すのも、遅くはなかった。

私にとってその国の「何か」を好きになるということは、その国の言葉を学ぶことと、ほぼ同義だ。小学生のときにイタリアのヴェネツィアという都市の存在を初めて知り、中学生になるとNHKのイタリア語講座を視聴していた(ちなみにそのときの生徒役は土屋アンナちゃん、講師は「ちょいワル」前のジローラモだ!)。

大学に入ってもイタリア語を続けていたが、1年生のときにたまたま「北欧デザイン展」を見に行ってしまったことがきっかけで、スウェーデン語に手を出した。結局、スウェーデンに留学した。ヴェネツィアのはずだったのに。ちなみに、高校は国際科の高校を出ているので、英語は卒業時点である程度は喋れた。

ずっと、ヨーロッパに憧れていたのである。

私がアジアの国、しかも韓国に興味をもつなんてことは一生ないと思っていた。絶対にないと思っていたのだ。韓国は、最も遠い国だった。もともとドラマも見ないし、音楽も聞かない。ハマる要素が見当たらなかった。

それが、ここにきて本だ。

本が、私の人生をまた変えにきた。今度は「国」という単位で私を攻めてきた。

激しい学歴社会、ソウルと地方という地域格差。女性の抑圧とルッキズム、家族のかたち。LGBTQとクィア。戦争と軍事独裁政権、そして民主化。

韓国には「作家には文学を通じて世の中に声をあげる責任がある」という共通認識があるという。「ないものにされてきた」あらゆる声が文学によって表面化して、実際に社会が、国が、動かされてきたという史実がある。

個人が抱える問題が、社会の諸問題を浮かび上がらせる。個人について描かれているように見えても、実は社会の問題を説いているということが往々にしてある。「弱くあるもの」に寄り添うというよりも、彼らを見ろと、彼らの存在をなきものにするな、と強く迫る文学がある。

私が今欲しいと思っている答えが、韓国文学に詰まっている気がした。

ならば。韓国語をやらないとだめだ。日本語に翻訳されているものではきっと足りなくなる。もちろん出版スピードが速すぎて、そもそも読書が全く追いついていないが、私は韓国の本をもっと、もっと、読みたい。だとしたら、韓国語を完璧にしないとだめだ。

読めるようになって何がどうなるのか。どうにもならないかもしれないけれど、実際に今、私の人生は変わっちゃっている。

こうして、私は韓国にのめり込んだ。


8年前の2015年。初めて韓国に行った。友達に会うためだった。

スウェーデンに留学していた当時、お世話になっていた人が仕事でソウルに来るというので「彩(私のこと)も来て韓国で会おうよ」と誘われた。宿泊代は出してくれるという。留学していたとき、いつも行動を共にしていた韓国人の友人もソウルに住んでいた。

行かないはずがなかった。

でも、そういう理由で行った初めての韓国、およびソウルの街のことを私はほとんど覚えていない。どこへ行くにも受動的だった(連れて行ってもらうだけだった)ので記憶がぜんぶ曖昧だ。

はっきりと覚えているのは、伝統茶「韓茶」が飲める韓国の伝統家屋のしつらいがとても美しかったこと。辛いものの摂取量が閾値を超えて最終日にお腹を壊したこと。そして、本屋にだけは積極的に行ったことだ。

そのとき、私はもちろん、ハングルはひとつも読めなかった。

ソウルで合流したスウェーデン人に「少しくらいは読める?」と聞かれて「まさか!韓国語と日本語は全く違うものなんだよ」と伝えた。韓国語を学んで2年の今ならわかる。半分は正しいが、半分は嘘だ。文字は全く違うが、韓国語にも漢字由来の単語が多くあり、似ているところがたくさんある。当時は知る由もなかった。

それから8年後の2023年9月。

またソウルに行った(with オンニ)。観光らしい観光はしなかった。地元の人が出勤前後に行くであろう食堂へ行き、チェーンのカフェでお茶をして、フードコートでビビンパを頼み、そのとなりにあるスーパーで買いものをした。偶然立ち寄ったデザインセンターで韓国の作家さんの白磁の器を買った。美術館では、韓国の刺繍やポジャギ(伝統的な風呂敷包みのようなもの)の企画展が行われていた。

韓国の友人に会うために電車に乗った。立ち席だった。本屋には5軒行った。1軒は休みだった。20冊くらい本を買った。家族、友人、知人へのおみやげは、グミしか買わなかった。冒頭で述べたドラッグストア「オリーブヤング 」でかわいらしいパッケージのフェイスマスクを買った。海の上に、ごつごつした岩肌の島が二つ描かれている。かもめが空を飛んでいる。「独島マスク」と書かれていた…。歴史を知らなければならないと痛感した。

韓国には、美しいものがたくさんあった。

北海道に来てから、見失いつつあるものがたくさんあった。創造性のようなもの、その創造性が私の生活を続けるための力になっているが、そういうものがたくさんあった。東京や大阪に行くことで満たしていた何かが、ソウルにもあったのだ。

そして、言葉だ。

私は、もっと韓国語を勉強しなくてはならない。

韓国には美しいものがたくさんあって、それを扱う人がいて、それについて語られる本がたくさんある。私はまだ、日常の会話の、本当に基礎の基礎のところしか話せない。

「しゃべれる」という実感は湧かなかった。普段、週に1回韓国人の先生によるレッスンを受けているが、その程度の韓国語しか話せなかった。もっと話せればよかったのに。もっと話せれば、書店員さんと深い話ができるし、本もおすすめしてもらえたかもしれない。もっと難しい本も買ってこれただろう。

旅行というレベルでは、韓国人と会話をする機会がそもそも限られる。お店でのお会計やホテルの受付、バスやタクシーの運転手さんと話せる会話はたかが知れている。韓国人の知り合いをもっと作るべきだ。

話は前後するが、2025年6月までにおおよその韓国語はマスターしておきたいという目標がある。私を沼に引きずり込んだ「彼ら」が兵役から復帰して完全体で復活する時期だ。彼らの第一声は翻訳なしのリアルタイムで捉える。絶対に、だ。

もちろん、今回の旅行で彼らにまつわる場はちゃんと巡った。社屋にも行って外から眺めたし、ショップでグッズも買ったし、彼らが住んでいた宿舎は今ではおしゃれなカフェになっている。推しがメンバーに差し入れしたお菓子が売っているカフェにも行った。「旅の恥はかき捨て」という言葉が何度も脳裏をよぎった。あぁ、人生が楽しい。

35年生きてきて、こんなに予想外なことは初めてだった。


韓国語を話す自分なんていうものは、本当に、全く想像していなかった。こういう人生があるんだな、と今でも自分ごとに感じていないところがある。

人生の突飛さ、奇抜さのようなものを目の当たりにして、今後も私の人生に予想外のことが訪れはしないかと、それをどこか心待ちにしている。

10年後、私は結婚して子どもを生んでいるかもしれないし、アフリカにハマってスワヒリ語がペラペラになっているかもしれない。大学で人工知能の勉強をしている可能性だってある。これからも、あらゆる可能性の芽を潰さないようにしよう。

次はいつ韓国に行こうか。

来年の冬くらいかな。冬のソウルは極寒だろう。
また別の景色が見られるはずだ。

そのときは、オリーブヤング でパフを買うのを忘れないようにしなきゃ。

▲推しが推しに差し入れたどんぐりパン


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