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深夜のオムツ事情[私小説/ショートショート]

 近々三歳になる娘が、二十三時頃に呻き声をあげ始めた。
「お布団……お布団……」
はいでしまったらしい掛け布団をかけてやる。その数分後、
「お布団……お布団……」
仕方ないのでまだ途中だった皿洗いは放っておき、娘の隣で寝ることにした。すると数分後、娘は足をバタバタと動かし、掛け布団をはいだ。
「お布団……お布団……」
掛け布団をかけてやる。が、また数分後に足をばたつかせる。
「お布団……お布団……」
掛け布団をかけてやる。
「お布団……お布団……」
私はタイムループに陥ったのかと思うほど、何度も何度も掛け布団をかけてやった。皿洗いが終わるわけでもなく、私が眠れるわけでもない。私はただ娘の隣に寝そべって掛け布団をかけ直し続ける、いわば自動掛け布団かけ機と化した。
 私が自動掛け布団かけ機になってからどれほど時間が経っただろうか。ふと時計を見ると、日付はとうに変わっており、時刻は三時三十分であった。
「おトイレ……」
台詞が変わった。しかし、私はとっさの反応が遅れた。既に自動掛け布団かけ機となって久しい私は、掛け布団をかけ直すことに特化しすぎてしまっていた。
「おトイレー!!!!うわあああああ!!」
娘が泣き出す。
「ふああぁぁ……」
一緒に寝ていた近々一歳になる息子も起きかかった。まずい、このままでは泣き声の協奏曲が奏でられてしまう。乳幼児は互いの泣き声に感化され、共に泣き続ける性質があるのだ。この深夜にそれは近所迷惑であるし、何より私が耐えられそうにない。
「おトイレ一緒に行くよ、大丈夫だよ」
「痛いー!!!!」
だろうなぁ、と思った。想定内である。その事の始まりは数日前であった。

***

 「おトイレ行かない」
 トイレトレーニングが軌道に乗りはじめ、そろそろオムツから卒業するのではないかと思っていた。その矢先の出来事であった。
「オムツ替えない」
娘はパンパンのオムツをはいたまま言った。
「オムツを替えないと肌が荒れちゃって、お股もお尻も痛い痛いになるよ?オムツ替えれば痛くならないよ」
私は説得を試みた。
「娘ちゃんオムツ替えないもん」
第一次反抗期は頑なだ。
「ジメジメするとバイ菌さん増えて膀胱炎にもなっちゃうよ?膀胱炎になると、おしっこする時、すご〜く痛くて、泣いちゃうよ?」
「オムツ替えない!!!!」
第一次反抗期は声が大きい。
「ママ、娘ちゃんが痛い思いすると悲しくなっちゃうから、娘ちゃんに痛い思いして欲しくないから、オムツ替えてほしいな〜」
「替えないもん!!!!」
「えー、おしっこくさいよー?やだなー」
「替えないの!!!!」
まるで磐石のような意思だ。ここまで頑固な時に無理やりに事を起こすと、大抵反発される。大きな硬い氷を素手で溶かしたり割ったりしようとしても、こちらの手が負けてしまうのと同じだ。氷が自然に溶けるのを待った方が良い。そう判断した。

***

 そうしてオムツ替えの回数が最小限となってから、二日は経過している。オムツかぶれだろう。かぶれるだろうなぁと思いながら、念の為にお風呂上がりにワセリンを塗り、少しでも肌を保護しようとしたが、さすがにパンパンのオムツ内は厳しい環境だったようだ。なんなら膀胱炎の可能性も否めない。その場合は早急に病院へ連れていく必要がある。何はともあれ、今この本人が寝ぼけている可能性の高い時間帯に、その判別は難しい。今現在履いているオムツは濡れているようだ。ひとまず宥めて、オムツを脱がし、ワセリンを塗り、新しいオムツを履かせよう。それが先決である。
「自分で脱げる?」
まずは痛みの原因と思われる濡れたオムツを取り除くべきと考えた。私がそう確認すると、娘はいそいそとパジャマズボンを脱ぎ始めた。
「うわー!!!!」
オムツを脱ぐ段階で泣き始めた。仕方ないのでオムツは脱がしてあげることにしよう。
「大丈夫だよ、ママと一緒におトイレ行こうね。ママ、ちゃんと一緒だよ」
「ううぅ……うう゛ぅ゛ぅ゛……」
泣き止みそうだ。良かった。幸い息子もまだ寝ている。息子は成長に伴って、一昨日から夜間授乳を卒業した。もしかしたらそのおかげで、夜の眠りが深くなったのかもしれない。
 私はお尻を丸出しにした娘を抱き抱え、トイレへ向かうことにした。その途端、
「もう夜中だぞ!静かにしなさい!」
娘の泣き声に起こされた夫と遭遇した。夫は中々に黒い職場で働いている。週六勤務かつ毎晩二十一時頃帰宅の日々を送っていたため、眠りを阻害されたことが辛かったようだ。
「うわあぁぁぁん!」
娘からしてみれば泣きっ面に蜂である。私からしてみれば踏んだり蹴ったりである。私は夫に軽い状況説明をしてあしらった。いざ、トイレへ向かう。
「おしっこ出るとこ痛い……おしっこ出さない……お布団戻る……」
何のためにトイレに来たのか。それは言ってはならない。今トイレに苦い思い出を作られると、こちらが困るからだ。しかし、おしっこ出ないではなく、おしっこ出さないと言っているところが大変気にかかる。膀胱炎の疑いが急激に強まった。明日日中、よく様子を見なければならない。
 布団へ戻り、かぶれているであろうあたりにワセリンを塗り、綺麗なオムツとパジャマズボンを履かせて、また掛け布団をかけてやる。娘は静かに横たわっていた。少しすると、娘の呼吸は寝息へと変わった。私はスマートフォンを取り出した。このことを文字に起こそう。こうして私は娘のオムツ事情を文章にしたためた。

 それにしても、子供の学習能力はいつ発揮されるのだろう。なぜなら娘のオムツ替えストライキは実に三度目だからである。切実に、早くどうにかして欲しい。私の精神よりも、娘自身のお股とお尻が耐えられそうにない。

 時刻は四時二十五分。私は一つの作品を書き終え、一息ついた。よし。それじゃあ、皿洗いをしよう。

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(追記)
一応夫をフォローするため、夫の勤務状況を追記しました。笑
また、後日娘を病院へ連れ行き、やはり膀胱炎が疑わしいとの事で薬をもらいました。数日後には完治しました。
ご心配おかけしました。

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