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私のママ[私小説/ショートショート]

 「メル、あしゃよー」
 ママが朝を告げてくれる。おはよう、ママ。
「メル、起きてー」
もう起きてるわ、ママ。だから早く抱き上げて。
「メル、どこー?」
昨日ママが寝かせてくれたところにいるの。
「メルー?」
ここよ、布団と布団の隙間よ。
「もうっ、いなくなっちゃうんだからっ」
ママ、怒って行っちゃった。私、何も悪いことしてないのに……。ふと見ると、女の人がママに何かを伝えている。女の人の指差す方向からして、私の話かもしれない。話を終えると、ママがこちらに近づいてくる。
「メル、こんなところにいたのねっ」
ママが抱き上げてくれた。嬉しい。
「迷子になっちゃうよって言ったでしょっ」
ママ、私動いていないの。ちゃんとじっとしていたの。ママには私の言葉、伝わらないの?
「しょうがないなぁ」
ママは私をリビングのソファの上に移す。ママ、私今度はソファでじっと待ってるからね。ママは食事用のハイチェアの隣に、ママのお勉強用の豆椅子を置いていた。
「メル、ご飯よ」
私は豆椅子に座らせてもらえた。ママの豆椅子、素敵だわ。ママはハイチェアに座る。私たち、隣同士ね。
「いただきまーす」
ママが手を合わせて食事を始めた。
「メル、あーんして」
ママがスプーンを差し出してくれる。あーん。スプーンは届かないけれど、気持ちはちゃんと届くわ。ありがとう、ママ。
「おいしい?」
おいしいわ。
「たくしゃん食べてね」
とっても嬉しい。ありがとう、ママ。ママもたくさん食べてね。そう思っている内に、ママは食事を終えて、再びリビングのソファに私を連れて来た。ママは小さなショルダーバッグをかけて、どこかへ出かけるようだ。買い物かな?一緒に行けるかな?
「メルー、保育園に行くわよー」
保育園?ママが私を抱き上げて、ダイニングの椅子に腰掛けていた女の人のところへ向かう。
「しぇんしぇい、よろしくお願いしましゅ」
私はママの手から離れて、女の人の腕の中に包まれた。
「メル、ママはお仕事に行ってくるからね。いい子にしゅるのよ。泣かないのよ」
私、ママとお出かけできると思ったのに……。
「じゃあ、行ってくるわね」
……行ってらっしゃい。大丈夫よ、ママ、私泣かないわ。強い子だもの。頑張れる。お仕事がんばってね。ママは部屋から出て仕事に行ってしまった。ママの姿が見えなくなると、強い不安感が私を襲った。ママ、ママが見えないわ。ママ、早く帰ってきて。
「泣かないのよ?」
ママが戻ってきて、まるで泣くのを催促するかのように伝えてくる。今ママの声を聞いたら、私、泣いちゃうわ。もう……胸が苦しくて……、
〈ママ、ママがいないの。寂しいわ、泣いちゃうわ。えーん、えーん!ママー!ママ、どこにいるのー?〉
女の人が私の気持ちを代弁してくれた。ママ、本当に戻ってきて。ママ……。
「もう、しょうがないわねぇ」
ママが戻ってきた!ママ、ママ!ママは私を優しく抱いて、背中をさすってくれた。ママ、一緒にお家に帰ろうよ、ママ!
「ママ、お仕事行ってくるからね。もう泣かないのよ」
ママは再び私を女の人に受け渡すと、お仕事に行ってしまった。また、ママがいない!
〈えーん、えーん!ママがいないわー!えーん、えーん!〉
また女の人が代弁してくれた。ママ、どこなの?
「しょうがないわねぇ」
またママが戻ってきた!ママ、ママ!
「メル、お家に帰るわよ」
やったぁ!嬉しい!ママ、大好きよ。ずっと一緒よ。けどね、ずっと思ってたことがあるの。ママにこの思い、伝えたいけれど、私、声が出ないの。
〈ねぇねぇママ、〉
女の人が代弁してくれるみたい。良かったわ。
〈私、そろそろお洋服着たいな〉
すっぽんぽんで過ごすの、恥ずかしいわ。
「お洋服あるわよ、メル」
ママは私をリビングのソファに寝かせると、隣にお洋服を用意してくれた。ママ、私、自分じゃお着替えできないわ。
〈ママ、お洋服着せてください〉
「大丈夫よ、メル」
何が大丈夫なのか、わからないわ。この後着せてくれるの?お願いね、大好きなママ――。

 「もう寝る時間だよ。お布団入ろうね」
 母親が声をかけると、娘は大人しく布団に入った。
「あっ、メルちゃんも一緒に寝る」
娘はお世話人形メルちゃんをおもちゃ箱から探し出す。
「ねぇ、メルちゃんにお洋服着せてあげたら?風邪引いちゃうよ?」
母親が心配して声をかける。
「いいの。大丈夫なの」
娘は聞く耳を持たない。メルちゃんはそのまま娘とともに布団に入り、二人は仲睦まじく並んで就寝した。
 翌朝、掛け布団は剥がされ、敷布団からも追いやられ、一人静かに床に転がるメルちゃんが発見された。一糸まとわぬ姿で放られたその様は、あまりにも悲しみに溢れていたと言う――。

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