「過不足ない」は良いことか

前回のnoteで、私は今の生活が「過不足なく幸せ」だと書いた。


この「過不足ない」というワードは、私にとっては作家の【江國香織】さんのイメージが強い。

彼女は、著書の中で「過不足ないことは不幸なことだ」と、度々、示している。過不足ないとは、つまりもっともっとと激しく求める気持ちがないということだから。

江國香織さんはエッセイの中で愛について語るとき、「常に求めていたい」「情熱的でいたい」とも話していたので、彼女にとっては過不足なくなってしまうことは不幸に思えるのだろう。


そこで、考えた。
私は今、不幸なのだろうか、と。


過不足ないということは、満足してしまっているということだ。

現に、私は、今に満足してしまっている。

たとえば、仕事。私の月収は、せいぜい人並み程度だ。ただ、仕事時間は基本的に日に5時間程度を週4日で短い。逆に言えば、人並みに働けば、もっと収入は増える。

でも、私はそれを求めない。


こんな私だが、元々は出世欲が人一倍強かった。ただ、それは稼ぎたかったというよりも、認められたかったのだ。承認欲求が変化したものだ。

だから、承認欲求がどこかにいってしまった今は、稼ぎなんて適度にあれば良いと思ってしまっている。


おかげでブログを始めたことで関わりを持ったブロガーさんたちの多くが、上を目指してガムシャラに頑張っているのを見ると、とてもまぶしく感じてしまう。

羨ましい、いいな、とも思う。

でも、私は知ってしまった。多くを追いかけるよりも、あえて見送ることでできる心の余裕を。そして、その余裕が彼と2人の生活を豊かにしてくれることを。


ガムシャラに追いかけるのも好きだ。なんでもかんでも新しいことにチャレンジするのも好きだし、思いつきでパッと動くほうだった。

恋だって、胸を焦がすような激しいのが好きだった。

でも、今もいいんだ。今の自分もかなり好きなんだ。


過不足ないのも、今は良いものなんだ。


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ぺたり。

他者紹介してもらっちゃいました。この場を借りて、自慢させてくださいうえっへっへっへ。

人を褒めるのが苦手って嘘でしょう?というぐらい褒めてもらっています。私が丸裸にされています。いやでも、ちょっと誇大広告レベルで褒められています。

猫カフェ代、もしくはカラオケ代となり、私に癒しが提供されるボタンです。