たけなわアヤコ

フリーライター兼、編集/ライター歴7年/札幌在住のアラサー/ブログやTwitterもやっていますが、ツイート以上ブログ未満のつらつらとしたつぶやきはこちらへ投稿しています。その場の香りや体温が匂い立つような文章を書きたい。

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最近の記事

梨が、すっぱかった

君の家。君の部屋。君の机で。君の切ってくれた梨を僕は君と食べていた。 一切れつかんで、一かじり。じわりと口の中にたっぷりの水分と酸味が広がる。 (ああ、おいしい) 僕も君も思ったことは同じだったようで、すぐにまた一かじり。二口、三口ほどで一切れを食べ終えれば、僕の手も君の手も、透明で平たく丸い皿に乗った次の一切れへと伸びた。 元より会話の少ない僕たちだけれど、おいしいものを食べているときは、ことさら二人無口で、もくもくと食べ続ける。そうしていれば、すぐに、皿の上にあっ

    • クールビューティーな彼女と、僕

      向かい合ってソファに座る君の強気なつり目がちの瞳に今、映されているのは僕――じゃなくて単なるファッション雑誌。そんな流行だとか何だとかなんて、全然気にしていないくせに。 ペラリペラリとページをめくる彼女のスラリとした指を見つめながら、僕は手持ち無沙汰に自分の親指の爪を噛んで。大好きな人が目の前にいると言うのに、僕は一人のときよりもつまらなさを満喫する。 あれ? 僕は彼女の恋人じゃあなかったっけ? と不安にさえ駆られるぐらいに彼女は僕を放置するもんだから。 好き同士で二人っき

      • そんな誘い文句考えてたよ

        夕焼けのオレンジ色を映して雲がぷかぷか浮いている。 カラスが山へと飛ぶのを見て、山に七つの子でもいるのかしらん?と彼が言った。 僕と彼は二人並んで寝そべっている。公園の芝生の上。砂場やブランコで遊んでいた子供たちは帰り支度をしていたと思ったが、気付けばもう皆いなくなっていた。 ざざっと風が吹いて、全てをさらってしまったかのような少しの静寂。 まるでこの世界に二人きりになってしまったみたいだと思う。が、ひょっとすれば今度は彼までもを風が連れ去ってしまうかもしれない。想像して

        • 私は、実家がほしい。

          里帰りの話などを聞く度に、思う。 私は実家がほしい。 ねえ、あなたが思い描く実家とはどういうものだろう。 幼い頃に暮らした、輝く思い出も、悲しい思い出も、つまった家だろうか。 親が今現在、住んでいる家だろうか。 私にとっては、「実家=何も気兼ねせずにくつろげる場所」だ。 私にも形式的な実家はある。 祖父母と母、弟が暮らす家だ。 そして、そこはもともと祖父母の家だ。 幼い頃、遊びにきた記憶はあれど、馴染み深くはない。 落ち着くことのできる自分の部屋もない。

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        • エッセイもどき
          4本
        • オリジナル小説
          3本

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          仕事のご依頼について|ポートフォリオ

          ご覧いただきありがとうございます。 私、たけなわアヤコ(記事によっては本名の「三浦仁実」名義)は、フリーライター兼編集者として、 など、執筆全般に関わる業務を承っております。 なかでも「読者の表層ニーズだけでなく深層ニーズに寄り添った」構成作成と執筆に関して、多くの評価をいただいております。 即戦力としてお役立ちできます。 また、「FP(ファイナンシャルプランナー)2級」資格を取得しております。資格取得者としての執筆が可能です。 今後もさまざまなジャンルに携わりたい

          仕事のご依頼について|ポートフォリオ

          文章を商売道具と割り切れない女の話。

          気づいてしまった。 私はどうやら、Googleさんに気に入られるような記事や、人の目を引くキャッチーな記事というものを好まないらしい。 5歳頃から絵本や小説を書いて育ったものだから、文章には情緒があるべきだと思っているのかもしれない。 Googleさんに気に入られるような記事(=SEO「検索エンジン最適化」に則った記事)なのだが、これについてよく知らない方に簡単に説明すると、たとえば「フライパン 収納」というテーマで記事を書きたいとする。 まず、Googleさんに気に

          文章を商売道具と割り切れない女の話。

          思い出す待ち合わせ

          先日、彼が職場の人たちと食事に行き、帰りがいつもより遅かった日があった。 その日の私は、仕事のやりとりがどうにもスムーズにいかなくて、少しストレスを溜め込んでいて。 「帰るよ」の彼からのLINEに「迎えに行くよ」と返した。気分転換代わりに少し外に出たかったのだ。 それから、鏡の前でマフラーの巻き方をああでもないこうでもない。帽子をかぶって、少し伸びてきた邪魔くさい前髪の向きをああでもないこうでもない。 彼が最寄り駅に着くまでの時間は短く、慌てて、わっちゃわっちゃとやっ

          思い出す待ち合わせ

          いたずら+いたずら+いたずら

          最近の私は、カイロをおなかと背中に貼りつけて、昼間を過ごす。 そして、いつもお風呂に入る前に、彼のおなかと背中にぺったんぺったんとバトンタッチしていくのだが、昨夜、眠る前にトイレに入ったら、 便座に座ると丁度目の前にくるこのあたりに、カイロが貼られていた。 彼のいたずらだ。 なんじゃこりゃと一人でクスクス笑いながら、トイレを終え、手を洗った私は、おもむろにサインペンを手にした。 カイロに顔を描いてやった。朝、これを見つけて笑ってしまう彼を想像してにやにやしながら。

          いたずら+いたずら+いたずら

          「過不足ない」は良いことか

          前回のnoteで、私は今の生活が「過不足なく幸せ」だと書いた。 この「過不足ない」というワードは、私にとっては作家の【江國香織】さんのイメージが強い。 彼女は、著書の中で「過不足ないことは不幸なことだ」と、度々、示している。過不足ないとは、つまりもっともっとと激しく求める気持ちがないということだから。 江國香織さんはエッセイの中で愛について語るとき、「常に求めていたい」「情熱的でいたい」とも話していたので、彼女にとっては過不足なくなってしまうことは不幸に思えるのだろう。

          「過不足ない」は良いことか