私は、実家がほしい。
里帰りの話などを聞く度に、思う。
私は実家がほしい。
ねえ、あなたが思い描く実家とはどういうものだろう。
幼い頃に暮らした、輝く思い出も、悲しい思い出も、つまった家だろうか。
親が今現在、住んでいる家だろうか。
私にとっては、「実家=何も気兼ねせずにくつろげる場所」だ。
私にも形式的な実家はある。
祖父母と母、弟が暮らす家だ。
そして、そこはもともと祖父母の家だ。
幼い頃、遊びにきた記憶はあれど、馴染み深くはない。
落ち着くことのできる自分の部屋もない。
そこにいると、気を遣ってしまう。
しゃきっとして、笑顔を張り付かせて、息がつまる。
くつろげないどころか、疲弊していく。
実家に帰ればいつもそうだ。
だから、自然と足は遠のき、昨年は一度も帰らなかった。
そんな自分を「親不孝・じじばば不孝だ」と思う。
お盆や年末など時期になれば「実家に帰らないの?」と聞かれ、ごまかす度に、悪いことをしている気分にもなる。
私は、実家がほしい。
私は、実家に夢を見ている。
何かあったときに帰りたくなるような、ときには放任し、ときには包み込んでくれるような、どんな自分でも許されるような。
そんな実家がほしい、んだろうなあ。
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