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カスハラと「お客様は神様です」の誤解を三波春夫と我が家の浅からぬ縁から解く

Yahoo!ニュースでこんな記事を見かけた。

「三波にとってのお客様はオーディエンスであって、カスタマーではない」。

三波春夫の娘さんでマネージャーも務めた三波美夕紀さんの言葉。三波春夫という人はきっと、聴き手の視点と届ける側の情熱を持ち合わせていた。おそらく、この2つを持ち合わせることは、我々凡人の想像をはるかに超えて難しい。それが共存したからこそ、三波春夫は人の心を掴む歌手であり続けたのではないかと思う。

行間から伝わる三波春夫の人柄

6年前に亡くなった祖母の隠居部屋の引き出しには、セピアに色を変えた古びた1通の手紙が入っている。消印は昭和30年7月28日。宛名には祖父の名前が書かれ、裏には「南篠文若」(なんじょうふみわか)と差出人の名前が印刷されている。南篠文若は、当時全国を公演行脚しその名を広く知られつつあった天才浪曲師。後に「三波春夫」の名で昭和の大スターとなるその人である。

昭和29年のこと。当時祖父は、母が通う福島県郡山市の郊外のとある小学校でPTAの会長をしていた。まだ戦後10年足らず。都会はともかく田舎には娯楽といえるような娯楽もなかったはずの時代に、祖父は仲間と協力して「村の人々に音楽の楽しみを伝えたい」と考えた。どこをどう巡って辿り着いたか、その想いは若き浪曲師に届き、小学校の体育館に地域の人々を集めて真夏の浪曲会が催された。宿代まで工面できなかったのか、あるいは巡業ではそうすることが当たり前だったのか、文若氏と彼の奥様はPTA会長である祖父の家、つまり後の僕の実家に泊まった。当時の髙橋家には蚊帳が一つしかなく、その晩は文若夫妻に蚊帳を貸し、家族は蚊に食われながら一晩をやり過ごしたという。

祖父の思惑が当たって浪曲会は大盛り上がり。一座は翌年も村に来ることになった。祖母の部屋に残る手紙は、その2回目の興行にあたっての手紙だ。その後生涯にわたって専属として所属することになるテイチクレコードではなく日本コロムビアの便箋に書かれているのが興味深いけれど、手紙の内容はそれ以上に興味深い。

今も昔も、ギャラは人気に比例する。当時の南篠文若はスターへの階段を昇る途中。手紙には、去年と同じ額では公演が難しいこと、興行で移動する際の列車も去年より等級の高い車両に乗っていることなどが書かれている。同時に、ギャラの上昇が原因で村での祖父の立場が悪くなることを心配する言葉も綴られている。数々の逸話から感じられる三波春夫という人物の人柄。そのイメージにたがわぬ気配りが、手紙の端々から感じ取れる。

祖父がその後どのように金の折り合いをつけたのかはわからない。もしかしたら身銭を切ったかもしれないし、借金をこさえたかもしれない。けれど、その年も無事に公演は開かれた。

「また来年も」
「ええ必ず」

そんなやりとりもきっと交わされたはずだ。

しかし、文若氏が村の地を三度踏むことはなかった。明くる昭和31年の夏の終わり、祖父が41歳の若さでガンで死んでしまったからだ。

彼のような気配りや計らいをみんなが持てれば

祖父の死の翌年、南篠文若は三波春夫としてテイチクレコードからデビューした。髙橋家にデビューを報告するハガキが届いたことを母は記憶している。しかし、あっという間に彼はスーパースターとなり、もはや郡山の片田舎から手が届くような存在ではなくなってしまった。

ところが何年か後、郡山の市民会館にやってきた彼は、ステージから客席に向けてこう声をかけたのそうだ。

「浪曲師時代にお世話になった髙橋さんはいらしていませんか?」

祖母と母は、それを人づてに聞いた。公演があることを祖母と母が知っていたとしても、一家の大黒柱を失った当時の髙橋家には、公演に足を運ぶような余裕は経済的にも気持ち的にもなかったと思う。それに、相手もはや雲の上の存在、押しも押されぬ大スターである。その立場の違いに足がすくんだのかもしれない。

でも、彼はスターでも雲上人ではなく、気配りに満ちた南篠文若の中身のまま、郡山の地を三度踏んだのである。

冒頭の記事。「お客様は神様です」の真意が今の時代に正しく伝わって欲しいと三波美夕紀さんは語る。その言葉は、客にへつらうことを意味するものではない。そのことはもちろん多くの人に伝わって欲しいし、三波春夫という人が持っていた気配りや計らいを我々一人ひとりがひとかけらでも心に忍ばせておけば、カスタマーハラスメントなど決して起こり得ないのではないか。我が家に残るちっぽけなエピソードから、そんな意識がどこかに少しでも広がっていけばいいなと思う。

たかはしあきひろ…福島県郡山市生。ライター/グラフィックデザイナー。雑誌、新聞、WEBメディア等に寄稿。CDライナーノーツ執筆200以上。朝日新聞デジタル&M「私の一枚」担当。グラフィックデザイナーとしてはCDジャケット、ロゴ、企業パンフなどを手がける。マデニヤル(株)代表取締役