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サマスペ!2 『アッコの夏』(7)

 ほてった顔に夕暮れの風が心地良い。風呂上がりに外を歩くのは気持ちがいいもんだ。
 夕食の後は自由時間だったので、アッコと由里は近くの銭湯に行って来た。
「ただいま帰りました」
 小さな公民館の引き戸を開けた。

「お帰り」
「あれっ、高見沢は銭湯に行かなかったんだ」
 高見沢は会議室で畳に寝転んで文庫本を読んでいた。
「俺は外の水道で身体を拭かせてもらったよ」
「もしかして銭湯代がなかったから? 早川さんが立て替えてくれるんだよ」

 高見沢は笑った。
「そのくらい知ってるよ。サマスペの予算管理は副幹事長の役目だからね。食当が食材や移動に使うお金も、早川さんから支給されてたし」
 知ってたか。高見沢はしっかりしてるもんな。

「クリスや斉藤が男湯で騒いでたよ。二人ともばててたくせに」
「人間、腹が膨れると元気が出るんだよ」
「あのポークカレーね。肉は少ししかなかったけど」
 高見沢が起き上がってあぐらをかいた。
「野菜は小さすぎてほとんど溶けてたけど」
 アッコは高見沢とうなずき合った。
「うまかったなあ」
 声がそろった。

 食当が大鍋にたっぷり作ったカレーの匂いは、鍋に顔を突っ込みたくなるほどの威力があった。そして釜で炊かれた香ばしい湯気が立つご飯。一人ずつアルミ製の食器によそられたカレーライスは神々しかった。とても市販のルーだとは思えない。

「斉藤以外はみんなお代わりしたもんね」
 斉藤は疲れのせいか、大盛りのご飯を残そうとして「そんなんでサマスペを生き残れると思ってんのか。しっかり食え」と石田さんに怒鳴られていた。
「斉藤も銭湯では元気だったんだな。よかった」
「うん。銭湯、初めてだあって声が聞こえたからね。現金なんだよ、斉藤は」
 高見沢が「そうだな」と笑う。

「銭湯体験をしたがってたのはクリスなんだけどな」
「そっか、銭湯ってアメリカにはないんだ」
「ないない。欧米人はシャワー文化だからね。湯船には入らないよ」
「そうなんだ」
「俺も毎日風呂に入るなんて、浸かってる時間がもったいないと思うよ」
「そうかな、気持ちいいのに」

写真AC 榎木悠々さん

 アッコは端に置いたチャチャを開けて、持っていたポーチを放り込んだ。
「おっ、いいリュックだね」
「そうでしょ。モンベルのチャチャパックだよ。なんでチャチャなのか知らないけど」
「ああそれ、確か山の名前からとってるんだよ。北方四島の山だったと思う」 

 アッコは黒縁眼鏡の高見沢を見つめた。
「なんでそんなこと、知ってるの。リュック屋さん?」
「違うよ。ただの雑学だよ」
「すごいなあ」
「疑問があると調べたくてたまらなくなるんだ」
「ふうん」
 こいつなんでも知ってて便利なやつかも。仲良くしておこうか。

 高見沢の足に絆創膏が貼ってあるのに気がついた。
「タカミー、豆ができたの」
「タカミー? それ、俺のこと?」
「そう、かわいいでしょ」
 高見沢は苦笑いして絆創膏を触った。
「初日から豆をつくるとはね。こんなにきついとは思わなかったよ。それに今日は無駄に歩いちゃったからなあ」

「あっ、道を間違えた?」
 高見沢はうなずいた。
「460に入ってから二回間違えた。しばらく歩いておかしいなと思って、人に訊いて戻ったんだよ。402号と460号の分岐点は、水戸さんが立っていてくれたから助かったけど、あそこで間違えていたらと思うと、ぞっとするよ」

「毎日、こんなんかな。先が思いやられるよね」
「石川県に入れば、道がわかるかもしれないけどな」
「どうして。コースは幹事しか知らないんじゃないの」
「コースは知らないけど、歩いてる道は分かるよ。俺、実家が輪島なんだ」
「えっ、輪島ってサマスペのゴールじゃない」
「うん、どうせ夏休みで帰省するからさ。ちょうどいいと思って」
「それでサマスペに参加したわけ」
「まあ、ね」
「……タカミーのこと、物好きって呼んでもいい?」

 愉快そうに笑った。
「そんなこと言ったら、全員、物好きじゃないか。それに俺、帰省代が浮くんだよ。新潟経由でも六千円も安いんだ」
「そりゃあ、途中から歩いて帰るんだもんね」
 便利なだけじゃなくて面白いぞ、タカミー。

「ところでアッコ、由里は一緒じゃないのか」
「公民館の前まで一緒に来たけど、ちょっとその辺を見たいって」
 高見沢は部屋に掛けてある時計を見た。八時を過ぎたところだ。
「もう暗いのにな」

 高見沢はさっきまで車座になってカレーを食べた会議室を見回した。
「それにしても一部屋しかないけど、寝るところはどうするつもりなのかな。男女一緒ってわけにもいかないだろうに」
 公民館にはこの会議室と調理室しかない。
「しょうがないよ。そういう合宿なんだから」
「由里は気にしないのかな」

 アッコは右腕を曲げて、力こぶの辺りをたたいて見せた。
「もしも夜中にちょっかい出すやつがいたら、あたしが絞め落としてやる」
 高見沢が身を引いた。
「なんかやってたのか」
「小学校からずっと近所の柔道教室に通ってたからね。もちろん黒帯。眠ってたって反射的に寝技が出るよ。関節技も得意だし」
「おっかないな」

「東京は痴漢とか多いじゃない。実戦で使うのが楽しみなのに、なかなかその機会がないんだ。どうしてだろうね」
「殺気が出てるんじゃないの」
 高見沢は笑いをこらえるように口を結んだ。
「なるほど。だらんとしてればいいのか。いいこと聞いた」
 
「柔道黒帯の応援団員か。ちょっと近寄りがたいなあ」
「高一の時はかわいく卓球部だったけどね」
「それはまた落差があるね」
「かすみちゃんに憧れたんだ。でも先輩とケンカしてやめちゃった。ぶらぶらしてたら、一年中、団員募集してる応援団にスカウトされたってわけ」

「応援団ってそれだけで恐ろしい響きだよ」
「そうでもないよ。団員はあたし以外、男子だったけど、クラスに戻ったら普通のおとなしい生徒だったし」
 高見沢は「ふうん」と疑わしそうな顔をする。

「もちろん練習はきついし上下関係も厳しかったけど、後輩をしごいたりするようなことはなかったよ。むしろ結束してた」
「そうなんだ」
「あの世界は特別だからね」
 どこがどう特別かは、入った者にしかわからないけど。

「その高校って由里も同じなんだろ。静岡だっけ。大学に入ってまで同じサークルに入るなんて仲が良いんだなあ」
「うん、まあ」
 あたしが勝手に憧れて、勝手に友だちだと思っているだけだけど。

<続く>

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